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南北朝の統一

(社会)
なんぼくちょうのとういつ

正式には、協定は明徳の和約、協議は明徳の和談
西暦1392年、南北朝時代の終焉である。南北朝の合一とも。
室町幕府3代将軍足利義満の提案で北朝・後小松天皇、南朝・後亀山天皇の代に和平が行われる。両統迭立の復活などが条件であった。しかし朝廷の主要な役職はほとんど全て北朝側が独占しており、両統迭立の約束も反故にされた。失意の後亀山上皇は再び吉野に潜行するも室町幕府の討伐を受け数年で京に帰されてしまった。
この後も南朝側の子孫による反抗があり、それを後南朝と呼ぶ。

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