梅雨《つゆ》が例年よりも長く続いて いつ晴れるとも思われないころの退屈さに 六条院の人たちも絵や小説を写すのに没頭した。 明石《あかし》夫人はそんなほうの才もあったから 写し上げた草紙などを姫君へ贈った。 若い玉鬘《たまかずら》はまして興味を小説に持って、 毎日写しもし、読みもすることに時を費やしていた。 こうしたことの相手を勤めるのに適した若い女房が何人もいるのであった。 数奇な女の運命がいろいろと書かれてある小説の中にも、 事実かどうかは別として、 自身の体験したほどの変わったことにあっている人はないと玉鬘は思った。 住吉の姫君がまだ運命に恵まれていたころは言うまでもないが、 あとにもなお…