透念気が言わんとしているところは、存在論的にみると、現実はそこにあるのではなく、「神と自分の心の神が作っている」と解釈できます。それゆえに、人は現実から神の意志をくみ取れることになります。 人間の真の操縦者霊魂様と天界の神(自然の法則)とによって、現実が造られている。これを人間は自分の現実だと錯覚?していることになるのですが、錯覚という言葉は適切ではなく、それ以外に現実はないってことです。ここから導き出されるのは、現実とは、極めて個人的な「作り事」で、神様との共同作業です。 キリスト教との違いは、神とは人格神ではなく、「自然の法則」だってことです。宇宙の法則といった方がリアルかもしれません。個…