[英] cant カントとは、鉄道線路の曲線部において、外側の "レール" を内側の "レール" より高くしてある高さのこと。 鉄道車両がカーブを曲がるときに遠心力によって、車体が外へ飛び出そうとするのを防止するために設けられている。
NゲージではKATOが世界初の道床付きカントレールを発売した。TOMIXも対抗してか発売の予定である。 HOファインゲージではModelsIMONが道床付きカントレールを発売している。
→イマヌエル・カント
人間学・教育学 (西洋の教育思想 5) 作者:イマヌエル カント 玉川大学出版部 Amazon デジタル革命が進展する現代社会の中で、教育のあり方も大きな転換点を迎えている。平成30年度告示の高等学校学習指導要領が示すように、AIやIoTに象徴される「Society5.0」の到来は、われわれの生活様式や価値観を根本から変えようとしている。 このような激動の時代だからこそ、「理性の自律的使用」を説いたカントの思想から、現代の教育改革における「主体的・対話的で深い学び」の本質を問い直す意義があるのだろう。 本稿は、カントの道徳教育論を手がかりに、高等学校における新しい学びのあり方を探究することを目…
判断力批判 上 新装版 作者:イマヌエル カント 以文社 Amazon 前回の記事でも述べたように、「趣味判断」をあるものを「美しい」と判定する判断のことである、とカントは定義した。「趣味判断」は主観的な判断である一方で、「趣味判断」はあらゆる主観に普遍的妥当性を要求するという特徴を持つことを前回の記事で述べた。 【参考:前回の記事】 chine-mori.hatenablog.jp その「趣味判断」の根拠として、カントは「共通感官」(sensus communis)という概念を挙げる。「共通感官」は、カント道徳哲学の中で特別な意味を持つ。この概念は『判断力批判』で展開されるが、カント道徳哲学…
今日はプロイセン王国の哲学者だったカント(1724ー1804)の「純粋理性批判(要約)」を読んで考えたことについて一人議論します。 現実において、理不尽で不幸で報われない出来事が様々起きても、神が配慮してくれると信じるからこそ、人間は道徳的な判断をすることができ、最善の人生を送ることができる 僕の解釈で言い直します。 神が存在するかどうかは分かりっこないけど、神が存在すると思い込んでいた方が幸せな人生を送れるから、神は存在する(と信じていた方がいいですよ)。 僕は無神論者なので、神の存在を信じていると聞くと、なんだかうさん臭く感じてしまいます。 でも、カントが言う「なぜ神は存在するのか」の答え…
文学的文章を読むうえで役立つ理論・方法論を紹介します。 〇要点駆動の読み [読書] 読者反応理論の立場に立ちつつ、読解力を育む理論と実践。山元隆春「読者反応を核とした『読解力』育成の足場づくり」 | あすこまっ! では「要点駆動の読み」を簡潔に説明。 その実践研究を山本氏以前、以後両方で検討したのが 文学的な文章の「要点」をつかむ指導法のあり方 (副題は「〜語りをふまえた内容と形式の往還に着目して〜」であり、内容、形式、語りのいずれにも注目して読む。) 〇判断・評価への注目 寺田 守 (Mamoru Terada) - マイポータル - researchmap の 話者の判断や評価の表れる言葉…
透念気が言わんとしているところは、存在論的にみると、現実はそこにあるのではなく、「神と自分の心の神が作っている」と解釈できます。それゆえに、人は現実から神の意志をくみ取れることになります。 人間の真の操縦者霊魂様と天界の神(自然の法則)とによって、現実が造られている。これを人間は自分の現実だと錯覚?していることになるのですが、錯覚という言葉は適切ではなく、それ以外に現実はないってことです。ここから導き出されるのは、現実とは、極めて個人的な「作り事」で、神様との共同作業です。 キリスト教との違いは、神とは人格神ではなく、「自然の法則」だってことです。宇宙の法則といった方がリアルかもしれません。個…
★物自体というもの 物自体は誰にも見えず、誰にも分からない、と言われています。 ヘーゲルはカントの物自体を客観と現象は一致するため、物自体は間違っているとしました。 カントも生き返って、「何で物自体なんて述べたんだ」と不思議に思っています。
偏頭痛がひどめ。涼しくなってきたあ、ひゃっほう!と踊ったのも束の間で台風が連続発生、また更年期のせいと思われる不調。おかげでPC/スマホから遠ざかり中。とても平和。歯が痛いのも偏頭痛によるらしい。どうりで痛い箇所がハッキリしない。 ***ネットの良い所は薄っすら感じてた件をズバリ言う人をたまに見かけることだ。モーガン氏と茂木氏の対談動画、「カント完全に狂ってる」思わず吹き出して卓袱台に突っ伏す。いやそうだよねカント何ゆってんの?思ってたあー。その世界観かなり無理あるよ?と思ってたあー。哲学は自由だ。哲学のための哲学には興味ないけど。 *** 能登地震以来、動画で柴犬らんまるを注視しているが仮設…
判断力批判 上 新装版 作者:イマヌエル カント 以文社 Amazon 本稿の目的は、カントの著書である『判断力批判』の中に登場する「趣味判断」(Geschmacksurteil)を道徳哲学の文脈から検討することである。 特に注目すべきは、「趣味判断」が『道徳形而上学の基礎づけ』(以下『基礎づけ』と略記)や『実践理性批判』で展開されたで展開された「不完全義務」(unvollkommene Pflicht)の概念に新たな基礎を提供する可能性である。 カントが『判断力批判』で探求した主観的判断の普遍的妥当性の問題は、単に美学の領域にとどまらず、道徳哲学での主観的妥当性と普遍的妥当性の調和という根本…
道徳形而上学の基礎づけ 作者:イマヌエル・カント 人文書院 Amazon 『道徳形而上学の基礎づけ』(以下『基礎づけ』と略記)の中で、カントは、「義務」(Pflicht)を2種類に分類する。2種類の「義務」とは、すなわち「完全義務」(vollkommene Pflicht)と「不完全義務」(unvollkommene Pflicht)である。 【参考:前回の記事】 chine-mori.hatenablog.jp 本稿で筆者は、『基礎づけ』の中のこの4種類の義務に反する「格率」(Maxime)の論証方法に着目し、「完全義務」や「不完全義務」をカントがどのように説明しているかについて考察している…
評論文でよく出る鷲田清一氏は、しばしば 『啓蒙とは何か』(岩波文庫もあるが新訳もある) 永遠平和のために/啓蒙とは何か 他3編 - 光文社古典新訳文庫 の「理性の公的使用」という言葉を引きます。 その解説としては 【再録】『啓蒙とはなにか』を読む (人間学ブログ NINGENGAKU Blog) を参考。新潟大学人文学部、心理・人間学プログラム、人間学分野のブログ 関連文献として、 『縮小社会研究』http://shukusho.org/journal.html の第1号に、青野豊一 「カント『啓蒙とは何か』を導きの糸として,「縮小社会研究会」の今後の在り方を考える」という論文もあります。 以…