これはディストピア小説である。が、舞台はどこかのSF的近未来でもなければ、完全監視型の独裁国家が牛耳る暗黒大陸でもなく、現代韓国だ。地獄を描くのに、特殊な寓話的設定などもはや不要ということなのだろう。女性たちが生きる現実そのものが、すでに十分すぎるほどのディストピアなのだから。 どこまでも引き延ばされていく、終わりそうで終わらない悪夢。彼女たちは結局、あらかじめ予期された破滅を回避することができない。エンディングが巧妙に再現するように、女に生まれることは、出口のない迷路に放り込まれることなのだ。その徒労感。これは私の見当違いかもしれないが、読後感はフランツ・カフカや安部公房のそれである。 これ…