2020年の年明け、私は神戸市文書館に足を運びました。佳澄の書いた大正7年1月20日付け神戸新聞の一面記事をコピーするためです。佳澄は国民新聞記者時代に、日露講和談判に際しポーツマスに特派されます。条約調印のその日、日本では条約反対を叫ぶ群衆が暴動を起こし、国民新聞社も焼き討ちにあいます。帰朝後、国内の混乱状態を目の当たりにした佳澄は、神経衰弱に陥り、記事を書くことができなくなりました。病を得て、国民新聞社を退社し帰郷していた理由とは以上のことでした。何とか記者生活を続けようと試みましたが、復帰は叶わず明治43年に療養のため帰郷します。そして約7年間の療養生活を経て大正7年に神戸新聞の主筆とし…