ロータリーエンジン

ロータリーエンジン

(サイエンス)
ろーたりーえんじん

初期の星型エンジンの一種。エンジン本体を固定せず、軸の回転方向と逆周りに回転するのでロータリーという。
当時のエンジンは回転数が低くシリンダーの間欠的な発火の衝撃により酷い振動が生じていたため、これを重い金属塊であるエンジン自体の回転によりフライホイール様効果を発生させ、安定させる役割を担っていた。また副次的にはエンジンの冷却効果なども期待されたという。
一方でエンジン出力の半分がエンジンの回転に割かれてしまうため効率が悪いという問題もあり、回転数の向上に伴い固定式の星型エンジンに置き換わった。

ロータリーエンジン

(サイエンス)
ろーたりーえんじん

ロータリーピストンエンジンとも。ドイツの技術者フェリクス・ヴァンケルが発明したことから、英語では一般的にWankel engineと呼ばれる*1
オットーサイクルエンジン(4サイクルガソリンエンジン)の一つ。往復運動ではなく、回転するピストンを用いており、ピストンの運動を直接回転運動として取り出せる利点を持つ。熱機関としての動作は通常のピストンエンジンと変わらない。
シリンダ側面は2ノードのエピトロコイド曲線というまゆ型をしておりり、ピストンはこのエピトロコイド曲線に内接する3葉の内包絡線(三角のおむすび型)をしている。ピストンは遊星歯車により出力軸と結合し、ピストンの1回転で4サイクルの工程を完了する。
自動車用としてはNSUバンケルタイプが唯一実用化されており、量産に成功したのは世界で唯一マツダ*2のみで、生産を継続しているのは2005年現在も同社のみという状況が続いている。
構造がシンプルなのでコンパクトで軽量。騒音、振動が少ないという特徴を持つが、レシプロエンジンに比べて燃費が悪い。ただし、前述のように量産メーカーがマツダのみなので、 NSUバンケルタイプが構造的に持つ欠点なのか、製造や工程、あるいは品質などの改善の余地のある問題なのかが判然としない部分もある。

<歴史>
人類の移動手段において最大の発明は車輪であろう。車輪を使用した乗り物の動力は当初は人力や動物の脚であったが、産業革命で蒸気機関が発明され、これが使われる様になった。
蒸気機関はピストンの往復運動をクランクで動力に換える。車の動力としては電気自動車が幅を利かせる時期もあったが、蒸気機関から派生したレシプロエンジンが主流になり、現在に至る。ただ、発明家や技術者の中には往復運動を回転運動に変換するのではなく、純粋な回転によって動力を生み出す機関を考えるものもいた。近世における純粋回転(ロータリー)機関および機械の研究は400年以上にわたるが、彼らが直面した最大の問題は作動室の機密性を保つシーリングであった。
圧縮過給機*3や揚水ポンプ、流量計などの純粋回転機械は製品化されたが、動力機関としての完成はフェリックス・ヴァンケルを待たなければいけなかった。

フェリックス・ヴァンケルは、1902年にドイツ南西部、シュヴァーベン地方の小都市ラールで生まれた。19歳まで学校教育を受けたが父親の死去により社会に出た為に技術などは独学であった。また、製造工業での見習いなどもしていない。彼は就職したハイデルベルグ大学の科学専門書を扱う書店の整理をしながら製図などを学んでいた。
1924年、22歳のヴァンケルはハイデルベルグの近くに研究室を開いた。彼の研究のひとつが、高圧潤滑装置の為の新しいシーリングであった。1933年までには、研究理論に基づいた回転式および摺動バルブを使ったレシプロエンジンを試作、特許を得ている。以後20年は自動車、モーターサイクル、航空機、魚雷にいたるまで多種多様なレシプロエンジンのシーリングの改良に専念した。
1924年、ヴァンケルはナチス高官であったケップラーの知己を得る。1932年に経済事件に巻き込まれ投獄された彼を救ったのもケップラーとダイムラー・ベンツ社の技術部長オット・ニーベル博士だったという。その後ヴァンケルは、ダイムラー・ベンツとBMWと契約を結び、BMWの委託で3つのローターを組み合わせたロータリーエンジン(試作番号DKM32)を試作し実際に運転した。
また、ヴァンケルはドイツ空軍省の支援でWVW・ヴァンケル研究所を設立した。ヴァンケル本人はナチスの思想に抵抗があったようだが、ロータリー・バルブ研究所の設立のオファーには抗えなかった。
第二次大戦のドイツ敗戦後、WVW研究所は占領軍によって破壊、ヴァンケル自身も投獄されるが、すぐに釈放され、1946年に自宅に研究室を設立、シーリングやロータリー機構の研究を再開した。1951年になり、研究室はTES(工業技術研究所)に発展する。その頃、彼の庇護者であったケップラーはシュトゥットガルトの病院にいた。戦争犯罪裁判にかけられた彼は1951年の恩赦で釈放され、ここで療養していたのである。そのベットの隣にいたのがモーターサイクルメーカー、NSUの役員であった。ケップラーは以前から目をつけていたシーリング技術者、ヴァンケルのことを彼に話したのである。
NSUは1886年に自動車の製造を開始したメーカーで、1888年にゴットリープ・ダイムラーの会社に自動車用シャシーを供給、1906年には純NSU製の自動車を開始するなど歴史のある会社である。NSUは大戦後の1946年、モーターサイクルの生産を再開、一時は世界最多の生産を誇った。
1950年半ばにはモ−ターサイクルレーシングに積極的に取り組んだ。しかし、経済復興に伴いヨーロッパのモーターサイクルの需要が急速に低下、NSUは1967年にモーターサイクル的設計の空冷エンジンを搭載した小型自動車「プリンツ」を発売するなど自動車産業に活路を求めた。さらにNSUはロータリーエンジンという大きな賭けに出た。
ワルター・フレーデ博士はNSUの戦後のレースなどでレース技術部長を務めた人物である。彼はNSU社長ゲルト・フォン・ハイデカンプのもたらしたフェリックス・ヴァンケルのエンジン/コンプレッサーに興味をもった。フレーデは開発していた回転円板型バルブのレシプロ・エンジンにヴァンケルのシーリングを使ってみることにした。
ロータリー・バルブ研究過程にヴァンケルは、より大きな可能性に到達する。”トロコイド”を使った回転型エンジンである。トロコイドとは、サイクロイドの親戚で、NSU/ヴァンケル型ロータリーエンジンの基礎となるエピトロコイド曲線の定義は、固定された円の外周に沿って転がるもうひとつの円の中に固定された点が描く軌跡である。フェリックス・ヴァンケルはトロコイド形状のハウジングを使い、吸気、圧縮、燃焼、排気の4ストロークのエンジンを成立させる事が可能であると結論した。それまでもトロコイド型ロータリーエンジンは多種多様に考案された。ヴァンケルは唯一の著書「回転ピストン機械の分類−1963年」で整理分類し、それらは100種以上に及ぶ。しかし、いずれもシーリングの難関を突破できずに挫折に終わっている。ヴァンケルの30年にわたるガス・シーリングの知識と経験の蓄積がロータリーエンジンへの扉を開ける可能性が出てきた。
フレーデは、フォン・ハイデガンプと技術部長ヴィクター・フランケンバーガーに、トロコイド型エンジンの研究開発を進言、両首脳はフレーデの企画を承認した。1954年の大半は、トロコイドの調査研究に費やされた。現在のロータリーエンジンの2ローブ繭型ハウジングと3葉おむすび形ローターを選び、実際の設計と試作にあたったのはヴァンケルREの初期開発の陰の功労者、エルンスト・ポップナー技師である。第一号エンジンの完成には2年を要した。
ポップナーのロータリー・スーパーチャージャーはヴァンケルの理想に沿った気密シーリング優先の純粋回転型だった。DKM=回転ピストン・マシーンと呼称される機構は、おむすび型ローターとともにトロコイド・ハウジングを回転するという大変複雑なものであった。ハウジングとローターは、それぞれの輪上で同方向に異なった速度(3:2)で回転し、4つのストロークの位相を形成する。
この純粋回転型ではローターの頂点にあるアペックス・シールへの力は常に外側に発生し荷重も一定である。これについて、マツダの山本健一・元RE研究部長は、著書で「自転式RE」と呼んでいる。この純粋回転型の複雑さはたいへんなものであった。2重の回転子に挟まれた燃焼室に混合気を送らねばならなかったからだ。
ポップナー技師のチームが製作した自転式エンジン1号(単室容積125cc)のDKM51(設計年を表す)は1957年2月1日に回った。テストベンチ上の性能は29ps/17000〜18000rpmであり、高度にチューンされたレシプロエンジンと同等と判断された。
しかし、DKMの複雑さは量産に多くの問題を抱えることが誰の目にも明らかであった。ハウジングを固定する事がRE量産への必死の改造であると主張したのはフレーデ博士とNSUグループであった。ハウジングを固定した場合、ローターは偏心(エキセントリック)シャフトを中心に衛星のような軌道をたどる。山本部長が「公転型RE」と形容したKKM=軌道回転型エンジンであり、これが現在のロータリーエンジンの原型といえる。
NSU/ヴァンケルのRE公式発表の公式資料によるとDKMからKKMへの移行は円滑に進められたとある。しかし、フェリックス・ヴァンケルに知己を得た唯一のジャーナリストであるディーター・コープの話では、ヴァンケルはこの移行に猛反対したという。DKMで成功したシーリング方法が新たに遭遇する障害に危惧を感じたのだろう。
KKMの軌道回転運動ローターのアペックス・シールにかかる遠心負荷は絶えず変化し、トロコイドのくびれ部分では逆方向に働き摺動面から飛び出る事すら考えられ、その後実際に「悪魔の爪痕」と呼ばれたチャターマークとして開発者を悩ませる事になる。
ヴァンケルは「君達は、私のレース・サラブレッドの種から荷物ひきの馬を生み出した」とまで不満をもらしたという。フレーデ博士は、将来ヴァンケルとの間にすきま風が吹く危険を承知で、冷静、現実的な判断をもってKKMの設計開発に移った。公転型第1号KKM125は、1958年に完成した。
(以下編集中)


水素ロータリーエンジン

マツダが開発した水素内燃機関。ガソリン用エンジンとは点火タイミング制御が異なるだけであるため、ガソリンと水素を同一エンジンで切り替えて使用することが可能。

水素は非常に燃えやすいため、レシプロエンジンでは異常燃焼を起こしやすい。REは機構上低温の吸気室と高温の燃焼室が分離しているため、吸入行程で着火するいわゆるバックファイヤーが起こりません。
また、気体燃料である水素は混合気に占める体積割合が大きいため、空気の吸入量が減って出力が上がりません。HR-X2は空気吸入後に水素を噴射する方式を採用し、出力を向上させました。REはレシプロエンジンに比べて各行程が1.5倍と長いため、空気と水素を十分取込めます。

*1:英語でrotary engineというときは、航空機用エンジンを指すことが多い

*2:当時は東洋工業

*3:ターボやスーパーチャージャーもこれにあたる

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