そこから考えてみると、レッスンはむしろ、条件づけられた身体に感覚をオンする、次元を違えるために、一段上のレベルの何かをつかみにいくために、何かを得るものと考えた方がよいでしょう。 一人でできることをリピートしてキープする、低下しないように積み重ねていく、それはトレーニングですが、飛躍して気づく、新たな感覚を得ることがレッスンです。
受け取る身体が変わっていけばいいわけです。 ですからハードなトレーニングを受けて、それに反発して脱力して楽にできたときに、前のトレーニングは間違っていたなどと思うのです。そうではなく、それが一段高まるためにそういうトレーニングに意味があるのです。