ならななへしちだうがらんやえざくら 貞享元年(1684)の作(推定)。まず「奈良七重」という上五は、奈良のnaと七重のnaが頭韻を踏みながら、七代の天皇が帝都とした奈良の古い歴史に思いが致されている。次の「七堂伽藍」は成句であり、南都六宗では、金堂、塔、講堂、鐘楼、経蔵、食堂(または中門)、僧坊が揃った寺院を指すが、これは眼前の光景であると共に、数字的な意味からも上五の「七」に連なっている。さらに、「七堂伽藍」の「七」は「八重ざくら」の「八」へと漸増しつつ、その花によって荘厳される仏都の香しさまで感じられる。 もっとも、伊勢大輔の「いにしへのならのみやこの八重桜けふ九重ににほひぬる哉」(『詞花…