1955年岐阜県生まれ。ノンフィクション作家・科学ジャーナリスト。 1999年特許庁産業財産権教育用副読本策定普及委員会委員、2004年同委員会オブザーバーを務める。 「日本人と創造力」をテーマに文系・理系の垣根を越えた執筆活動を展開。 また、絵本作家・イラストレーターの大島理惠(おおしまりえ)とのユニット「上山事務所」としても活動。
拙著『仁科芳雄 :「原爆を作ろうとした物理学者」がみたもの』青土社刊が今日の日本経済新聞(読書蘭)で紹介されていた。 タイトルは「戦争に翻弄された科学者」。仁科を原爆の父と呼ばれ話題となった映画「オッペンハイマー」と対比しながら、少ない字数でわかりやすく説明。なるほどと感心した。 日経電子版https://www.nikkei.com/article/DGKKZO89188500W5A600C2MY6000/ 『日本経済新聞』2025年6月7日
私が仁科芳雄の生涯を追うきっかけは、「高橋源一郎の歩きながら考える」と題する『朝日新聞』(2018年4月18日付け)の記事を偶然目にしたことにある。 高橋源一郎氏は文京区本駒込の旧理化学研究所37号館2階にあった仁科芳雄執務室を訪れ、この部屋の主人、仁科芳雄に関するレポートエッセイを寄稿した。仁科芳雄といえば、「日本の現代物理学の父」として、理科系の間で知らない人がいないほど有名な科学者で、湯川秀雄や朝永振一郎をはじめとする日本のノーベル物理学賞受賞者の多くが師と仰ぎ尊敬する人物だ。 その輝かしい功績をもつ一方、仁科には自身の名を取った「ニ号研究」の符合で呼ばれる戦時研究を任されていた。もっと…
「日本の現代物理学の父」と呼ばれる仁科芳雄(1890-1951)は、太平洋戦争中、日本の原爆開発を主導し、戦後は核兵器廃絶に向けた活動を積極的におこなった。その仁科芳雄の取材のために、和光の理化学研究所(理研本部)を訪ねた。 西門守衛所で受付を済ませ、指定された仁科記念棟1Fロビーに入ると、いきなり大サイクロトロンに鎮座する仁科芳雄博士に出迎えられた。 理研の広報担当者に仁科博士との記念の2ショット写真を撮っていただいた! 宝物にしよう💗 ▲製作中のサイクロトロンに腰掛ける仁科芳雄博士(右)と上山明博(左)