旅の風はまたふたたび、 馬上の高氏の鬢面《びんづら》をソヨソヨ後ろへ流れてゆく。 その朝、彼は伊吹を立っていた。 別れぎわには、佐々木道誉以下、土岐左近らも、 とにかく表面ねんごろに別辞をつくした。 わけて、道誉は、 「きっと、御再会の日をお待ちする。 その日はさらに、吉《よ》い日の下で」 ふくみのある言い方と、他日の誓いを、くりかえした。 高氏の胸には 「……また、いつかは」と呼ぶその声が、 谺《こだま》のように後ろ髪を曳いていた。 ——が、それは道誉のでなく、心から心へ聞える藤夜叉の声だった。 その藤夜叉は、今朝は見えない。 ——どこかで今朝はその眸を、人しれず、 牝鹿《めじか》の眼のよう…