テレビ東京系 毎週木曜日 25:30〜26:00 2004年4月1日から2004年9月30日まで放送され、2005年4月7日から2005年9月29日まで放送されたバラエティ番組。
江戸・日本橋から中部山岳地帯を経由して京都・三条大橋に至る街道。五街道の一つ。 近江国草津宿から三条大橋までは東海道と重複する。 東海道五十三次に対して中山道は六十九次。山道が多く距離もやや長いが、川止めや航路区間がない分、旅は東海道より容易だったともいう。 川に橋がかかっている現代においては東海道の方が移動は容易である。 なお、「中仙道」という表記もあるが、1716年(正徳6年)に幕府によって「中山道」が正式名称として定められている。
中山道(木曽路)は... 江戸の日本橋から京都の三条大橋まで続く街道で 江戸時代に整備された五街道の1つです ちなみに五街道は東海道・日光街道・奥州街道・中山道・甲州街道ですね! 東海道は五十三次ですが 中山道は六十九次あります すまきとすまりんは2020年の冬 中山道 馬籠宿(まごめじゅく)にやってきました... 江戸から数えて四十三次目にあるのが馬籠宿です 車はここからすぐ近くの無料駐車場にとめました 馬籠宿に来たのは すまりんは3度目です! 最初に訪れたのは高校の修学旅行 二度目は学生の時 すまきと訪れましたがすまきが体調を崩して歩くことができませんでした^^; 今回は二人とも元気いっぱ…
同居する義父が亡くなり3週間が経過し落着きが戻ってきました我が家です。 四十九日までは大人しくしているつもりでしたが、毎週毎週バイクに乗って出掛けている事を知ってストレスがたまっている娘(私の嫁ね)に義母が「土曜日はイイ天気だからバイクに乗るんでしょ!」と、朝は家の掃除などをして、9時半に自宅を出発! そんな訳で27日土曜日はUrbanG/Sとあ~る君(R1250R)でお出かけ!大きな水車がある道の駅 おばあちゃん市・山岡へ ここで嫁がしゃがんで愛車の写真を撮り終わり立ち上がろうとしたら??? おいおい、どうした? 前屈みなり一歩二歩前進し顔からコケよったわ(笑) お笑い並のコケ方で 爆 顔に…
3月27日。ホントはね。0時ジャストに出発して奈良公園の桜を見に行こうと張り切っていたんだけども。起きたら体だるい。 この一週間ほどどーもスッキリしないなぁと思って過ごしていたんだけど、この日はピークな感じ。今週忙しかったしなぁ。
こんばんわー、この日は、歴史ファンは萌える旧「中山道」!守山宿にやって参りました(^^) 旧街道沿いというのは、めちゃめちゃ雰囲気のある道、お店、そして神社等がありますよね~。今日はここ、「かたたや」にやって参りました! 時節柄・・?空き空きにて、特等席に座らせていただきます(^^) さあ、今日のお目当てはコレ!「鶏のひつまぶし」です(^^)考えてみると私、鰻のひつまぶしって食べた事がありません・・(・・;)、私には鰻は敷居が高いので・・、せめて「鶏」のひつまぶしをいただきたいと思いまして・・^^; 早速、オーダーをし、じゃーん!!「鶏ひつまぶし」1650円(^^)!!なんだか旅館チックなお膳…
岐阜県には、旧五街道の一つ中山道が、東は木曽路から中津川市に入り、西は大垣市から関ヶ原を通って京都に至る。全部で69の宿場のうち17の宿場町が県内にある。 有名なのは中津川市の「馬籠宿」。島﨑藤村の生まれ故郷として有名で、小説「夜明け前」の舞台にもなったのでご存じの方も多いでしょう。 馬篭宿の町並み 馬篭宿の夕暮れと恵那山 馬篭宿の今は観光地になっていて、むかしの風情を偲ばせる建物が並び、休日にはたくさんの観光客が押し寄せる。 でも、やっぱり観光地は観光地。ほとんどは土産店や飲食店になっていて、正直、商業主義のアウトレットパークと変わらないように見えるのは、ちょっと自分がひねくれているからだろ…
〇推奨季節:オールシーズンOK! 〇ここがおススメ!:江戸時代の面影残る街並み 〇類似スポット:熊川宿(福井県)、大内宿(福島県)など 〇楽しみ方:見る(景観)・知る(歴史) にほんブログ村 奈良井宿とは? 重要伝統的建造物群保存地区に指定されている木曽街道の宿場町。江戸時代に京都と江戸を結ぶ主要道路のうちの山の手側(中山道)のちょうど真ん中にある宿場町で木曽の宿場町では最も標高が高く、町並みは最長。江戸時代の面影を強く残すノスタルジックな町並みで人気の観光名所。 ※海手側の主要道路が東海道。 山が迫りくる立地 江戸の街並みを感じよ! ソフトクリームが美味い! ジョン・レノンも食べたんだとか。…
仕事をリタイヤして、有り余る時間をどのように使おうかと考えたとき、ブログの作成を思い立ちました。 退職後の趣味にと街道歩きを始めたので、これを題材としてブログに記事を書こうと考えたのですが、旅先でブログにするほどの情報を記録することなく、ただ黙々と歩いてしまい、ブログの記事を書くことなく2年の歳月が過ぎてしまいましたが、今日より記事を書いてみます。 中山道(日本橋から京都三条に向かって) 2018年4月8日東京にやってきました。近くのホテルで宿泊し、翌朝8時に日本橋を出発しました。 今回の予定は、4泊5日で日本橋から碓氷峠の手前松井田宿(約133km)の工程でしたが、歩き始めて3日目の4月11…
旧八代食料品店。現在は閉店。 醒井宿は中山道61番目の宿場だった。 豊富な湧水がに恵まれていた。 清冽な水は旅人の疲れを癒した。 今も地蔵川の清らかな流れが町を潤していて、人々の生活に結びついている。 かつて毎週末のように近江を訪れていた頃、醒井宿で必ず休憩をしていた。 湧水のながれが美しく、街道の風情をよく残していた。 私の胸は踊った。ああ大好きな近江にきたのだな、と実感できる場所だった。 八代食料品店(現在は閉業)の前で桜の花の下に日本猫、地蔵川、醒井大橋を一つの風景として見た時には、偶然の道具立ての素晴らしさに息を飲んだ。 ああ故郷がこのような風景であったらさぞや懐かしいだろう、と。 ほ…
柏原の集落から離れた場所にある。大きな寺院。 ウェブをみるに住職はいる模様だが、作成日時が古く、1944年生まれとなっているので、現在はどうかわからない。 現地にいったときは無住のように思えた。 手入れはキチンとされており廃寺の雰囲気はない。 森のなかに大きな手入れされた大きな寺院がある、というのは不思議な感覚だった。 建築は素晴らしいものがあった。
醒井銘菓「六方焼」をいただいた。 白餡の優しい甘さで、大変においしい。 ヨソの六方焼よりサイズが大きい。 醒井の有名な梅花藻種をあしらった包装も美しい。 建物の中に入るとストーブの心地よい暖かさ。 対流型の円筒形のストーブの上にヤカンがのっている。 なんとも懐かしい雰囲気と空気。 ばぁちゃんが生きていた頃って自分の家も冬はこんな空気だったなぁ。 六方焼ときんつばをいただく。 すいませーん、と声をかけるとオクから店主らしきおじいさんが出てきてくれた。 作ったお菓子は六方焼ときんつばしかみあたらなかった。 ほかに既製品のお菓子、おもにホームパックのお菓子が売っていた。 タバコも商っているようだ。 …
案内板 「 十三峠 尻冷しの地蔵尊 昔の旅人にとって道中の飲み水は大切でした。山坂の多い十三峠では特に大切であり、ここの清水は大変貴重とされました。この地蔵尊はそんな清水に感謝して建てられたものですが、ちょうど清水でお尻を冷しているように見えるところからこんな愛称で親しまれてきました。 東海自然歩道 」 石碑 「 中山道 尻冷し地蔵尊地蔵坂という坂を上れば、右に大なる杉の木ありて地蔵菩薩たたせ給う 壬戌紀行」
案内板 「 十三峠の三十三観音 険しい山坂の連続である十三峠は、旅人ばかりでなく、宿や助郷の人馬役のものにとってもたいへんな道でした。この観音仏は道中安全を祈って建てられたものですが、寄進者の中に定飛脚才領中や中馬連中の名もあり、中山道にある建造物の中でも学問上貴重なものの一つです。 」
案内板 「 歴史の道 中山道 三十三所観音石窟 大湫宿と大井宿の間の三里半(約十三、五km)は、険しい山坂の連続する『十三峠』と呼ばれる尾根道で、中山道を行き交う人馬が難渋した場所でした。 ここには、道中安全を祈って天保十一年(一八四〇)に建立された観音石窟があり、三十三体の馬頭観音は、大湫宿内の馬持ち道中と助郷に関わる近隣の村々からの寄進です。なお、石窟前の石柱には、大手運送業者の定飛脚(じょうびきゃく)嶋屋・京屋・甲州屋を始め、奥州・越後の飛脚才領(さいりょう)、松本や伊那の中馬(ちゅうま)連中が出費者に名を連ね、中山道の往時を偲ばせる貴重な史跡です。 瑞浪市 」
案内板 「 十三峠の巡礼水 旅の巡礼がここで病気になったが、念仏によって水が湧き出して生命が救かったと伝えられています。 僅かな清水ですが8月1日に枯れることはないといい、旅人たちから『十三峠のお助け水』として大切にされてきたものです。 」 中山道 巡礼水石碑 「 中山道 巡礼水 坂を下りゆくに 左の方の石より水流れ出るを巡礼水という 常には さのみ水も出ねど 八月一日には必ず出するという むかし巡礼の者 此の日此所にて なやみ伏しけるが この水飲みて命助かりしより今もかかることありといえり 太田南畝 壬戌紀行」
案内板 「 歴史の道 中山道 巡礼水と馬頭様大湫宿と大井宿の間の三里半(約十三、五km)は「十三峠におまけが七つ」と呼ばれ、二十余りの山坂道をいい、中山道の中でも難所の一つでした。十三峠は、大湫宿東端の寺坂から、巡礼水の坂、権現山の一里塚、観音坂を過ぎて恵那市へと続きます。 この地には、お助け清水・巡礼水と呼ばれる小さな池の跡が残り、その上段には、宝暦七年(1757)銘の馬頭観音が祀られています。その昔、旅の母娘の巡礼がここで病気になったが、念仏によって目の前の岩から水が湧き出し、命が助かったと言い伝えられています。 瑞浪市 」
案内板 「 権現山一里塚 江戸へ90里、京都へ44里という道標で、樫ノ木坂 一里塚とも呼ばれ、石畳とともに中山道当時の姿を偲ばせています。南塚は高さ約5m、 径約9m、 北塚は高さ約3.5m径約9mです。 慶長8~9年に十三峠の新設工事とともに築かれた ものであり、瑞浪市内の4ヶ所のように完全な形で現存している一里塚は珍しく、貴重です。 (県指定史跡) 」
案内板 「 歴史の道 中山道 炭焼立場跡(いわやきたてばあと) 立場というのは、馬のつなぎ場を備えた休憩所のことです。小さな広場と湧水池があり、旅人や馬の喉を潤しました。太田南畝(蜀山人)が享和二年(1802)に著した『壬戌紀行』に『俗に炭焼の五郎坂といふを下れば炭焼の立場あり左に近くみゆる山は権現の山なり。』という記述があります。十三峠の中では特に旅人に親しまれた立場でした。 瑞浪市 」
案内板 「 歴史の道中山道 観音坂と馬頭様 大井宿と大湫宿の間の三里半(約十三、五km)は、起伏にとんだ尾根道の連続で、『十三峠におまけが七つ』とも言われ、中山道の中でも難所のひとつでした。 ここは観音坂と呼ばれ、瑞浪(みずなみ)市の東の端、釜戸(かまと)町大久後(おおくご)地区に位置しています。 坂の途中の大岩の上には、道中の暗算を祈念する馬頭観音像が立ち、坂の西には天保二年(一八四一)銘の『四霊場巡拝記念碑』が建っています。 さらにその西に連なる権現山の山頂には刈安(かりやす)神社が祀られ、貫禄には往時、駕籠(かご)などを止めて休息した、大久後・炭焼(すみやき)の二つの立場跡が残っています…
案内板 「 ここは中山道 深萱立場 深萱立場には数軒の茶屋があり、多くの旅人たちの憩の場となっていた。 特に立場本陣は和宮をはじめ多くの姫君や大名行列の殿様が御小休みされた家である。この道は大井宿と大湫宿の三里半(約14km)を結び十三峠という。 尾根伝いの展望のよい、土道が続き、途中には一里塚や石仏や多くの茶屋跡などが残り、今でも往時の面影のよく残る道である。 」
案内板 「 槙ヶ根立場 ここは中山道槙が根追分である。 東へ七本松坂や西行坂を下って中野村を過ぎ、阿木側を渡れば大井宿であり(この間約一里)、西別川約二里半(約一〇キロメートル)深萱立場や炭焼場の十三峠を越せば大湫宿である。 ここで中山道と分かれて西に下る道は、竹折や釜戸を経て内津峠を超せば名古屋や伊勢方面へ行くことができ『下街道』と呼んでいた。 江戸時代ここは中山道の通行者に加えて木曽や尾張方面の商人荷、それに善光寺や伊勢神宮等の参拝者が行き交い、付近一帯に道をはさんで多くの茶屋があり、槙が根茶屋とか槙が根立場と呼んでいた。 享和二年(一八〇二)三月この地をといった詳しい太田南畝は、著書『木…
伊勢神宮遙拝所 案内板 「 伊勢神宮遙拝所 京都から江戸へ旅をした秋里離島は、その様子を文化二年(一八〇五)に『木曽名所図絵』といつ本に書いた。 そしてその挿絵に槙ヶ根追分を描き、追分灯籠の横に注連縄を張った小社を書いている。 ここにある礎石は絵にある小社遺構であろう。 伊勢神宮参拝の人はここで中山道と分かれて下街道を西へ行ったが、伊勢までの旅費や時間のない人は、ここで手を合わせて遙拝したという。 」
槙ヶ根立場の茶屋 案内板 「 槙ヶ根立場の茶屋 江戸時代の末頃ここには槙本屋・水戸屋・東国屋・松本屋・中野屋・伊勢屋などの屋号を持つ茶屋が九戸あった。そして店先にわらじを掛け、餅を並べ、多くに人がひと休みしてまた旅立って行ったと思われる。(旅人の宿泊は宿場の旅籠屋を利用し、茶屋の宿泊は禁止されていた) これらの茶屋は、明治の初め宿駅制度が変わり、脇道ができ、特に明治三五年大井駅が開設され、やがて中央線の全線が開通して、中山道を利用する人が少なくなるにつれて、山麓の町や村へ移転した。 そして今ではこの地には茶屋の跡や古井戸や墓地などを残すのみとなった。 」
伝西行塚 案内板 「 伝西行塚 丘陵上に五輪塔があり、これが古くから西行塚と伝えられています。慶長19年(1614)に記録された『長国寺縁起』には西行の終焉の状況が細かく記されており、それを根拠に西行の墓と信じられてきました。『壬戌紀行』をはじめ、中山道の旅記録書の多くにこの塚のことがしるされています。 」
槙ヶ根一里塚跡 案内板 「 槙ヶ根一里塚 一里塚は、一里(約4キロ)ごとに街道の両側に土を盛り、その上に榎を植えて旅人たちに里程を知らせた塚である。戦国時代の末(16世紀後半)には、山陽道の備中の河辺から北九州肥前名護屋のあいだに築かれたといわれるが、一般的には、慶長9年(1604年)、徳川幕府が江戸日本橋を起点として、東海道や中山道などの主要な街道に設けさせ制度化させたものをいっている。しかし、180・90年後の天明年間(1780年代)のころには、姿を消したものがかなりあったという記録が残っている。県内の中山道には、全部で32か所あったが、現在はそのほとんどがとりこわされ、現存しているのは、…
www.1010.or.jp Google マップ 【入浴日】2020/9/28 この日は仕事帰りに巣鴨まで足を伸ばして「宮下湯」さんへ。宮下湯さんへは、JR巣鴨駅下車、南口より正面の中山道を渡って正面の路地へ。 JR線路沿いのコチラの路地を直進。 屋号の由来となった宮下橋が見えて来たら左折し、宮下橋通りへ。 駅から徒歩4分程でSENTOみやしたゆの屋号のビル到着。入口を入ると地下へと続く階段が伸びています。 宮下湯さんはビル地下銭湯。下足箱がツートンカラーでプリティです。 中に入るとホッと一息つけそうなロビー。ご主人様より、壁面のジグソーパズルは9.11テロ前の作品でワールドトレードセンター…