先の記事で少し触れたが、声聞師たちは秀吉によって弾圧を受けている。1594年、堺で10人、大阪で8人、そして京都で109人の声聞師たちが、尾張に強制移住させられているのだ。 この奇妙な事件を、これまでの史学会ではどう説明していたのか?声聞師たちは治水の技術を(呪術的なものを含む)持っていたらしく、それを尾張における灌漑のために役立てたかったのだ、というのが通説のようだ。しかし裏には次のような事情があったのではないか――というのが服部氏の論旨なのだ。 西洞院時慶が記した「時慶記」1593年10月19日の条には、このような旨の記載がある――「大阪城にいた声聞師が追放された。男女の問題で金塊を得たと…