プロ野球選手、指導者。
右投右打、ポジションは捕手。背番号は39番。
1967年3月17日生まれ。京都府出身。
花園高校から1984年、ドラフト1位で中日ドラゴンズに入団。
1987年、中尾孝義の後釜として一軍に定着。翌年、正捕手となる。星野仙一に見出され、時には鉄拳制裁を食らっていた。
肩とリード力に定評があり、中日の投手王国を支え2度のセ・リーグ優勝に貢献。
2002年、谷繁元信をFAで獲得することで、チームから弾き出される感じで横浜ベイスターズに移籍。
横浜では相川亮二の伸び悩みによりそれなりの出場機会を得たが、相川の一本立ちにより2004年になって出場機会が減る。
2005年、東北楽天ゴールデンイーグルスに移籍。
同年、現役引退。
2006年、湘南シーレックスのバッテリーコーチに就任。
2009年、中日ドラゴンズの捕手コーチに就任し古巣復帰。
2013年、千葉ロッテマリーンズのバッテリーコーチに就任。