新瀬戸駅の北側の元瀬戸高等女学校跡を含めて北側を東横山町という。水野村の中の横山だ。東横山町のすぐ北側が苗場町になる。郷土史家のA氏は第1回の歴史散歩の会で分かりやすく説明してくれた。東京帝国大学が瀬戸の治水のために研究施設をつくった。瀬戸のハゲ山のための植林用の苗を育てる畑だから苗場町と呼ばれるそうだ。分かりやすい。 東横山町の東側は、追分町、今は陶生病院や瀬戸市役所がある。追分は街道の分かれ道。北東に行くと品野を通って信州飯田方面に、東に向かうと瀬戸を通って三河に、西に向かうと名古屋に行く。 昭和34年 航空写真 瀬戸高女のすぐ南には瀬戸電の横山駅(今の名鉄瀬戸線の新瀬戸駅の前身)があった…