1920年代、二十代前半の若者だった祖父は一族の青年と妻子を残し故郷を出た。さらに「あと2、3人連れて出た」と語ったということなので、4、5人のグループ行動になったはず。 旅費については自分たちで用意したのだろう。父がことばができない不自由を問題にすると、「筆談で来た」と祖父は説明したという。祖父は山間部の故郷の面(村)で日本語の語学書を初めて購入した人と伝え聞いている。出稼ぎを意識したためか、単なる好奇心かは分からない。多分前者だろう。 祖父が初めて宗主国日本で働いた場所と労働の中身については、父もはっきりは聞いていないようだ。語るのが嫌だったかも知れない。 祖父は自尊心の高い人で、肉体労働…