能島村上氏家臣。天正十年(1582)の来島村上氏の離反後、能島村上氏の使者として毛利氏・小早川氏との交渉を担当した。関ケ原合戦後は、主家を離れたらしい。 毛利方残留の褒賞 周防国秋穂千石給付をめぐる交渉 天正十二年の状況 能島村上氏の衰退 参考文献 毛利方残留の褒賞 天正十年(1582)四月、来島村上氏が毛利氏から離反し、織田方に走ったことが決定的となる。毛利氏は同族の能島村上氏らに自陣営の引き留め工作を行うとともに、来島村上氏への攻撃を開始した。 来島村上氏離反による騒動に一段落がついた天正十年九月、毛利輝元は能島村上武吉・元吉父子に対し、「来島不慮の逆意」にも関わらず毛利方に残ったことを「…