洛南の伏見で造られていた酒。「伏見酒」の語がみえるのは16世紀末であり、当時は興福寺などの僧坊が作る奈良の酒と競合していた。また酒造業発展の背景には、豊臣政権による伏見城下町の整備があるといわれる。 伏見酒と奈良の多聞院 奈良酒の伏見への出荷 江戸初期の伏見の酒造業 参考文献 伏見酒と奈良の多聞院 『山科家礼記』長享三年(1489)四月二十八日条に、伏見に樽代を支払った記録がみえる。この頃には、伏見に酒屋が存在していたことがうかがえる。 ただ、明確に「伏見酒」が史料にみえるのは、慶長四年(1599)となる。『多聞院日記』慶長四年(1599)正月二十五日条に「伏見ヨリ五明二本来了。伏見酒二駄遣之…