詩人。作詞家。
1890年12月3日生まれ。神奈川県川崎市出身。
1904年頃より句作を開始。
1910年、小山内薫、吉井勇などと劇作を試みる。
1911年、川田花枝と結婚。
1912年12月、福士幸次郎、千家元麿、高村光太郎、木村荘八と雜誌「テラコツタ」を創刊。
1915年、元麿らと雜誌「エゴ」創刊。「白樺」の衞星雜誌として武者小路実篤も寄稿。
1916年、詩集『正義の兜』出版。
1929年7月、詩人のクラブ「詩之家」設立、10月、萩原朔太郎らと機関紙「日本詩人」創刊。
1933年1月、夫人花枝と死別、同年8月萩原朔太郎の妹・愛子と再婚。
1938年9月、久米正雄、林房雄、川口松太郎らと武漢作戰に從軍記者として參加。
1942年5月15日、義兄朔太郎が死亡した4日後に後を追うようにして死去。
コロムビアレコードの専属作詞家としても活躍。
初代「巨人軍の歌」や、阪神タイガースの歌「六甲颪」の作詞者として知られる。
川崎市と沖縄県に詩碑が立てられている。