宝永6年10月1日。近頃、枇杷島の堤で石川靭負若党と中間が密夫(他人の妻と関係を持つ男)のことで喧嘩となり、女を切り殺し、その上2人で争った。中間は傷を負い、夜毛利治部左のところへ逃げ入り、喧嘩したと云々。しかし、その様子が怪しかったので子細を聴きだし、その後殺して靭負のところへ渡した。若党は戻ったところを靭負宅で討ち捨てた。毛利と靭負は親戚だったのでこの如く。この頃、町医高橋立斎の六尺(下僕)が舅のところで酒に酔い、少し恨むところもあったのか女房を殺そうとして押し留められる。六尺は天王坊の百姓で六句のものであった。六尺は牢に入り、女は傷の治療をした。近頃、梶川市太夫の僕が大曽根屋敷の道具を盗…