『縁と円』、相変わらずの駄洒落『爺ィ』・・・と、自分で突っ込みを入れているみるが… すでにそれについては、5年も前にブログ記事にしていた。 ⬇︎⬇︎ しかし、それは歳月を経て私の中では駄洒落でもなんでもない、立派な佛語として、他の人にも納得しやすい『縁起』の説明として『円起』はなかなかな熟成ぶりを見せてくれた。 『縁』というのは、その繋がりの意味が解って初めて『縁起』と言えると思うが、それって『円』を考えた時、必然的に中心点の位置に値する物事の『意味合い』が解った時に『円』を描くことが可能になる現象『円起』と同一ではないかと思うのだ。 そういえば私がお世話になった寺も『円覚寺』という名前だが、…