七北田処刑場。これは、江戸時代、同地に存在していた仙台藩の処刑場として用いられた場所である。 その歴史を紐解いてみると、元禄3年(1690年)に遡るのだそうで、元々米ケ袋という場所にあった処刑場が移転、以来、使われなくなるまでの間の約178年に渡り、なんと7000人もの罪人が同地で処刑されたのだと言われている(余談であるが、東京都にある、当時の江戸の町の処刑場である鈴ヶ森処刑場では10万人とも20万人とも言われる罪人が処刑されたとされている。)。 現在は周辺は大きく開発され、わずかに遺構が残る同跡なのであるが、どうにも不可解な話がある。 それは何でも、前を走る道路の交差点では、交通事故が度重な…