北条義時の三男。母は比企朝宗の娘・姫の前。
六波羅探題として兄北条泰時を支え、また泰時の死後は連署として若い執権北条時頼をよく補佐した。晩年は浄土宗に帰依して出家。鎌倉西方に極楽寺を創建している。
彼の子孫は北条一門でも得宗家に次ぐ家格にあった。
また、彼の残した『極楽寺殿御消息』『北条重時家訓』は有名。とりわけ出家後に子孫への教訓として記した『極楽寺殿御消息』には、自らの仏教信仰と、質実剛健にして自立心に富んだ東国武士の気風を反映し、正直・奉公・慈悲・謙譲・平等といった普遍的な人間のあり方が説かれている。その思想は、江戸時代まで広く国民各層の道徳意識に影響を与えた。
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