小さい頃に塩山という街へよく行っていたのですが、高尾から先、塩山の一つ手前の勝沼まで中央線はずっと山の中で、その勝沼は駅からぶどう畑が見えます。日本史などを勉強するようになると機械的に墾田永年私財法とか覚えさせられたのですけど、あの勝沼のぶどう畑は墾田に入るのだろうか?というバナナはおやつにはいりますか?的な疑問を抱えたまま育っています。もっと謎だったのは勝沼の手前の山の中なのですがそれは横に置いておくとして。いまから思えば私が勉強したころの日本史は稲作が中心の歴史であったのですけどその稲作中心の日本史をどちらかというと批判的にとらえていたのが網野善彦という二十年近く前に亡くなった山梨出身の歴…