1.第二次世界大戦までにあった日本の特殊銀行。通常の銀行業務の他、台湾内で紙幣発行権を持っていた。1899年に開業し、1945年に閉鎖された。
2.[[台湾]]にある[[金融機関]]。1946年に設立された商業銀行である。設立当初は国営ではなく[[台湾省]]営だったが、1998年の組織改革により、中華民国財政部全額出資の国営銀行となった。
2008年、中華民国財政部 100%出資の臺灣金控(英文表記:Taiwan Financial Holdings)が設立され、その傘下に移された。
全国銀行協会(全銀協)準会員になっている。(平成21年6月28日現在)
○ リスト::銀行
台湾へは、シンガポール航空グループのLCC(Low Cost Carrier=格安航空会社)の一つであるScoot(スクート)を利用し、成田空港から桃園空港へ飛んだ―― と書くと至極簡単な道程なのだが、実際はこれがなかなかの大仕事だった。 飛行機の発時刻は12:45。 なかなかいい時間帯のフライトであるが、長野県茅野市から行くとなると、早朝に家を出ても辿り着くのは上の時刻の2時間ほど前になってしまい、これに去年からの旅行で度々交通機関の乱れを経験していること、さらに久々の海外旅行で手続きに手間取るかもしれないことを重ねて考えると、時間的余裕が少々心許ない。 そこで、中央道を走る夜行の高速バスで…
明治32年((1899年)5月の事であった。 大倉組を退職した賀田金三郎は、台北市書院街一丁目二番戸に賀田組を起業した。間口六間の二階建ての建物で、台湾人仕様の建物であった。後に、洋館に建て替えられた。 事業内容は賀田が台湾に来た時から着眼していた、金融業、製糖業、運送業、物品販売、御用達、そして、当時、大倉組がやっていなかった建築業をまず手掛ける事とした。金三郎が土木請負に手を出さなかったのは、土木は大倉組の事業であるからで、これは、大倉組、すなわち、大倉喜八郎への敬意を表したのもでもあった。 社長には、賀田金三郎、副社長には、賀田富次郎(金三郎の実弟)が就任し、本店・台北、営業所は、台南、…