島根県の東部に位置していた村。2004年(平成16年)11月1日に他の5町と合併し雲南市に移行した。
正徳6年2月24日。近頃、壱岐守(竹腰)知行所吉田(きつた)村の百姓が年貢の他にかなりの金銭があることを訴えたので高田孫四郎・吉村十内など目付が立ち合い、百姓とともに詮議がある。近頃、妻木で妻木民部家来家城(かぢやう)友右衛門が百姓に叩き殺される。神木を山伏に命じて伐らせ、その上山伏の袈裟を剝ぐことがあった。日ごろから極悪人で所の者をひどく扱っていたことが露見する。行方をくらまそうとしたところを、以前から逃がすなと申し付けがあったので百姓などが追いかけ、棒で押さえつけ、礫などで撃ち殺した。
正徳5年10月8日。濃州武儀郡吉田(キツタ)村真言宗新長谷寺の末寺一塔寺は先年勢州松坂成福院の仲介で御室(仁和寺)の末寺となる。このことを3年江戸で審議したところ、昨日判証(権威者による判定)が済む。一塔寺は不届きとのことで袈裟を剝ぎ(僧侶の地位を奪う)、武州・濃州を追放する。その後、寺は前々の通り長谷寺の末寺とすると云々。成福院は閉門となる。吉田村は竹腰壱岐守の知行所であった。委細は別紙に記す。