日本国有鉄道の前身、鉄道省で開発された貨物用蒸気機関車。
戦時下の輸送状況を打開するために在来の蒸気機関車の出力を20%増強を目標とし、国鉄D51形蒸気機関車の下回りに大型ボイラを搭載したことにより、D51形の1000トン牽引が標準であったがD52形で1200トン牽引が可能となった。しかし、石炭の質も乗務員の技量も低下したためD51形と同じ1000トン牽引としか使用されなかった。
軸配置は1D1のミカドでD51形と同じである。
498両が製造予定になっていたが、1943年(昭和18年)〜1946年(昭和21年)にわたって285両のみが製造された。
戦時中の物資不足のなかでとりあえず戦争が終わるまでの5年間ほど走ればいいという戦時設計による製作となった。しかし戦時下の劣悪な環境が機関車の質を落としたため故障が多発、果てはボイラの破裂事故までおこってしまった。そこで全機がレントゲン検査にかけられボイラの交換もおこなわれた。
1950年(昭和25年)までに、国鉄C62形蒸気機関車に部品を流用された49両と国鉄D62形蒸気機関車に流用された20両を含め122両が廃車されてしまった。残された中で状態のよいものだけが木製部品を鋼製に取り替えられ、1973年(昭和48年)に全廃となった。
現在、梅小路蒸気機関車館でラストナンバーの468号機が保存されている。285両のみの製造なのに468号機があるのは、先程498両の製造予定があったと書いたように欠番が大量にあるからである。
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