1936年東京生まれ。東京大学文学部フランス文学科卒。3歳のとき満州に渡り、1946年に帰国するまで現地で育つ。
絶版本の復刊リクエストについて、復刊ドットコム 著者特集 天沢退二郎で受付中。復刊確定本の情報もあり
このところ見る・聞く・読むコトについてアレコレと書いている。本日も昨日の続きだが、その前に一休み。 散歩中の一枚 1 道脇は草刈がされ落葉も片付けられていたのだが、その作業の後に落ちたのだと思われる。だから目立った。 散歩中の一枚 2 複数枚落ちていたので、また撮る。 散歩中の一枚 3 当然ながら表情が違うので、飽きずに撮る。道端にしゃがみ込んで、撮る。 散歩中の一枚 4 もう暫くすると、この落葉も粉々に砕けて土に紛れてしまうだろう。そして風が吹けば何処かに吹き溜まってしまうかもしれない。 散歩中の一枚 5 というワケで、正体はコレ(上画像)みたいだ。まだ暫くは落葉が供給されそうだ。 光線の具…
本日も前回 ↓ の続き。 etsuro1.hatenablog.com Fさんはピアノの先生だった。そうは言ってもYAMAHA音楽教室の講師ではない。個人的に自宅や、何処かに招かれて教えていた。 ま、こう言ってはナンだがYAMAHA音楽教室的な教え方を嫌っていた人だった。それはワガハイも同感するトコロだ。という記述によって、YAMAHA音楽教室の関係者並びに習われておられる方々を、完全に敵にしてしまった。 それは昔から言われているコトが一因にある。美術では、結局のトコロ石膏デッサンといった受験方法が、その後のナニガシカにナンのイイコトがあるのだろう?というヤツだ。 ワガハイは石膏デッサンやる位…
詩を読みあぐね原稿を三か月放置していたら、期せずして追悼文となってしまった。彼の人と鳥の記憶に捧ぐ。 ……ややや 何たる恥知らず! 「鳥」の字がこんどは「馬」になり変っていく…… ――天沢退二郎「鳥について」(『ノマディズム』)
鈴木邦男 さん 「一水会」創設者。作家。 1943年(昭和18年)8月2日、生まれ。2023年(令和5年)1月11日、死去。 訃報 右派の論客「一水会」創設者、作家の鈴木邦男さん死去 79歳 | 毎日新聞 鈴木邦男氏死去 「一水会」元代表、79歳:時事ドットコム 一水会顧問の鈴木邦男氏死去 対米自立を主張 - 産経ニュース 評論家の鈴木邦男さんが死去 民族派団体「一水会」結成|47NEWS(よんななニュース):47都道府県52参加新聞社と共同通信のニュース・情報・速報を束ねた総合サイト 鈴木邦男氏が死去 評論家、「一水会」結成: 日本経済新聞 三谷昇 さん 俳優。 1932年(昭和7年)4月9…
当時の造園学の一環として「装景」というのがあったようなのだが、宮沢賢治と装景の関係を扱った森本智子の論文が読みたいのだが入手がむつかしい。e.g.,宮沢賢治「装景手記」 実現されなかった賢治の花壇図案Tearful eyeを見てみる。実景ではなく紙面にあると、当たり前のようだがビデオゲームのマップ考のニュアンスに近づく。装われた土地。マップデザイン。二次元の町。 画像は天沢退二郎、栗原敦、杉浦静編『図説 宮澤賢治』(ちくま学芸文庫)から。
返却日前に急いでかき写し、手を休める。吉本隆明『宮沢賢治』。いい本だ。ほんとうに渇きが癒えるように読んだ。言ってみれば、ちょうど入沢康夫+天沢退二郎という仏文知のぎらぎらしたバックボーンから来る強靭な思考のカップリングが「まあ、その話はいずれ・・・」と穏やかに熱をおさえながら(天沢的な語彙を用いれば)三々五々解散してしまうまさにその地点*1から、吉本の賢治論は切りだされる。つまり宗教、信仰、生き様、救済、賢治と法華経、賢治と田中智学及び国柱会、賢治と日蓮、超越、民衆。 (盛岡中学時代の短歌を引きながら)「こころの状態が生理にあたえる影響を、かんがえすぎる傾向があったといえば、いえるだけだ」、こ…
1996年6月、思潮社から刊行された横木徳久の評論集。 目次 Ⅰ 愚昧さの美学 一九八八年の時代感覚 修辞的なライフスタイル 九〇年代詩の新鋭たち 詩の特権性を求めて 一九九一年の詩書展望 最悪の彼方に 一九九二年の詩的状況 状況を忘れたカナリアたち 一九九三年の詩的展望 Ⅱ 良識の闇 北村太郎の詩と死 偽物づくりの美学 大岡信の<引用>詩作法 職能としての言葉 谷川俊太郎『メランコリーの川下り』 詩への知的戦術 入沢康夫『詩の構造についての覚え書』 トポフィリアの詩学 天沢退二郎『欄外紀行』 思想としての散文詩 粕谷栄市試論 隠喩と寓意のアポリア 藤井貞和と瀬尾育生 <封印>の疫学 稲川方人…
1985年5月、幻想文学会出版局から刊行された幻想文学アンソロジー・ムック。第1回幻想文学新人賞入選作品と選評など。 目次 ・幻視の文学 1985 招待作品 土神の夢 天沢退二郎 海の音 須永朝彦 眠れる美女 山尾悠子 出づるもの 菊地秀行 鬼哭 田中文雄 猫と同じ色の闇 森真沙子 闇に用いる力学 竹本健治 ・第一回幻想文学新人賞 選評 もっと幾何学的精神を 澁澤龍彦 七いろの翼 中井英夫 ・第一回幻想文学新人賞 入選作品 少女のための鏖殺作法 加藤幹也 釣人 加城健夫 緑の壜 塩田長幸 あらかじめ失われた恋人よ 宇井亜綺夫 ざりがに 後藤義久 毛のふさふさした動物の不思議な味 青木隆二 召さ…
「風の又三郎」直筆原稿で子供たちの学年が箇所によって違ったり、「三年生」自体が学校にいたりいなかったりする問題について、天沢先生はその部分ではそう読んでおけばいいのですと言っている。これは私もたいへんお気に入りの見立てであるし完全に同意しかない。いいこと言うよアンタッ() 次に「ちゃうはあかぐり」などと訳のわからない言葉を叫んで、嘉助がやってきます。これも正確です。嘉助の学年は、「九月一日」では四年生と見られますし、「九月二日」の章では明らかに五年生です(これも今はとりたててめくじら立てないことにしましょう。矛盾である、未整理箇所である、にはちがいないのですが、とにかく原稿ではこうなっている。…
天沢退二郎『夢でない夢』、ブッキング、2005年 初版は73年、最初の小説集。これでオレンジ党の最後を読み残すばかりに。 天沢の小説が抱える最も外傷的な強度はよく思い返すと、イメージそのものが無残な風景をとっているというよりも、その意味が残虐であるようなイメージ(バルトの解釈するサド的な)、「意味によって」残酷なイメージ、だという感じを受けるがそれでいうとまだここでは不穏で奇抜なイメージ/風景自体の手数の多さに賭して話が滑っていく。この時期はそれでよかったと思う(読み手が言うことではないかも知れないが)。すきなだけそれが許容される爽快さによって、とにかく、当時の天沢にとっては、小説「も」かけて…
空の雲を見上げて、昔の人はそこに龍や飛天を見たのだろうな。 と思いつつ、あそこにどんな風が吹き、空気がどんな風に流れているのだろうと思い巡らす。 だから、空気を読むってのは風を読むことで、つまるところ気象予報士さんや船乗りさんや漁師さんのお仕事なのだよ、と思うのでした。 同調圧力的に使われるので、子供たちと関わる場ではNGワード。 空を見ながらあれこれ思う今日。 夕刻。白い月と鳳凰。 返却に行く。校本 宮沢賢治全集。これが豊中市の図書館にないのは、痛い。毎回、よそからの取り寄せ。 古い方のは豊中市立岡町図書館にあるにはあるけど、書庫。出してもらわないといけない。この場合、あの作品はどうなってた…
『閑吟集』257番に「その地方の評判の美女の名」として千代鶴子という心に突き刺さるような名前の出没がある*1。その地方の、ということからおそらく「名無しの権兵衛」と同じく仮名というステイタスを持つ綴りだと理解しているが、この仮名は姓名システムに訴える筆頭のひとでもある。千代が苗字、鶴子が名だ(所田鶴子=所・田鶴子のように千代鶴・子と分かれるかも知れないが)。そうではありながら千代鶴子はその用法上、誰か特定の人物に帰属しえない俗称でもある。宮沢賢治「風の又三郎」の初期稿に「風野又三郎」を読むとき、とくに又三郎の自己紹介の弁には、姓名利用的な仮名に基づく困難があらわになる。それが、「可笑しみ」だろ…
クレチアン・ド・トロワの『ペルスヴァルまたは聖杯の物語』(12世紀)を中心紋とし、『パルチヴァール』(エッシェンバッハ)、『散文ランスロ』(作者不明の『聖杯の由来』『メルラン』『聖杯の探求』などを含む)など、中世に集中的にかき継がれた一連の聖杯探求譚について、天沢退二郎は早くも1963年のジュリアン・グラック論「シュルレアリスムの継承」のなかでいつもの好奇心旺盛な顔つきで筆を割いている(1972年出版の『紙の鏡』所収)。聖杯物語に対する天沢の夢中はこれ以後も持続し、折々の散文・エッセイに語り場所を得、やがては聖杯物語のひとつ『聖杯の探索』やフラピエの聖杯物語論『聖杯の神話』の翻訳を手掛けること…
宮沢賢治「楢ノ木大学士の野宿」の初期バージョンとして「青木大学士の野宿」という作品があった*1。この青木大学士は推敲と改稿を経て先述の楢ノ木大学士という新しいキャラクターに「転生」したという訳だが、天沢退二郎はこの「青木大学士の野宿」の元原稿を調査することで、原稿用紙の裏面が「風の又三郎」ほか著名な物語の草稿に再利用されていることに着目することができた。天沢によれば、全集からも「ネグレクト」されてきた「青木大学士の野宿」という無名の作品は、その裏面=我が身を提供することで、「銀河鉄道の夜」「セロ弾きのゴーシュ」「風の又三郎」といった大きな作品群をまさに「裏から支えて」きたというのだ。 (他作品…
天沢退二郎『水族譚 動物童話集』、ブッキング、2005年 物語の終わりにオープンを架ける*1にはどうすればいいか。オープンは読者の撤退できなさ、帰れなさに関わる。死ねなさ、眼を閉じられなさに関わる。運動図式の上ではこれを固まってしまうと言いえる。読み終えようと文字から身を引こうとする動きでそのまま向うへぶすっと入ってしまう。運動図式の上ではこれを転んでしまうと言いえる。天沢の児童文学を読むとひとは固まったままさらに転んでしまうような思いをするだろう。転んで、固まってしまうのではなく。固まって、その動けない自分のなかのなにかがさらに転んでしまう。内臓がさっと変色した。 物語の終わりでオープンが架…
入沢康夫・天沢退二郎『討議「銀河鉄道の夜」とは何か』(青土社、1990年) 私も宮澤賢治全集を借りてきて手元におさえながら、かつて取り交わされた異稿論にこうしてまた入る努力をしている。 筑摩書房から1967年発行の『宮澤賢治全集10』バージョンの「銀河鉄道の夜」五章に打たれた「(この間原稿五枚分なし)」という問題の個所があるが、1970年の第一回討議における天沢と入沢の対話をテープ録音して書物のかたちにとらえたこの本において、まさに「この間テープ約15分分なし(※テープ操作のミスによる)」として欠落している箇所がある。少しうす寒いようでもあり、もやっとしたものを今も残す。 「『電気会社の前の六…
話が通じそうというキャラクターがいるとする。そいつの名前が【話が通じそう】なのだ。話が通じそうが生きている。姿までは想定していないが、たぶんあの溝がついた薔薇色の石鹸に似た人間みたいなやつだろう。そんな話が通じそうとはべつに、話が通じそうという一般的な言い回しが日本語にはあるようだ(いや、ここから話が通じそうという人名が転がりおちたのだが、順序は)。で。話が通じそうにこちらから話しかけようか迷いながら、でも、あ、このひとは話が通じそうだ、と思う場合ももちろんあるだろう。話が通じそうに見えるということだ、そいつが。が、それと同じくらい、実際に話を始めたあとでこのひとはやっぱり話が通じそうだ、とい…