戦後から、現在に至る迄の詩を、一般に現代詩と呼んでいる。 詩の愛好者が、現代の日本で、詩が読めると言う事は、大変な僥倖だと思われる。 現代詩は、日本の至宝である。 日本の伝統的な詩である短歌や俳句に定型が有るのに対して、現代詩には、全くそれが無く、完全に自由である所に特徴が有る。 それは、20世紀初頭のヨーロッパの散文詩を手本としている所に起因しているものと思われる。 その当時のヨーロッパでも、定型詩である韻文詩を書く詩人は居なくなっていた。
賭博とチョコレートボール チョコレートボールを齧る朝に レインシャワーを浴びている パドックの横でガムを踏んだ 人々は恨めしそうにボクを見ていく まるで廃品の回転木馬になったような気分 ふて腐れて有り金を全部ベットした 縞々の服を着た女がボクのラックを全部奪っていった 完全なる敗北の中でボクはしらを切る これで一文無し 後悔はないが、ちと不安だな 以上。
前回の続き、「死者の贈り物」(長田弘、ハルキ文庫)の後半を読み終えた。 その人のように ・・・・この世界は、ことばでできている。そのことばは、憂愁でできている。希望をたやすくかたらない。それがその人の希望の持ち方だ。・・・・ わたし(たち)にとって大切なもの ・・・・逝ったジャズメンが遺したジャズ。みんな若くて、あまりに純粋だった。みんな次々に逝った。あまりに多くのことをぜんぶ、一度に語ろうとして。・・・・ 砂漠の夕べの祈り ・・・・砂漠では、何もかもがどこまでも透きとおってゆくだけだ。世界とは、ひとがそこを横切ってゆく透きとおった広がりのことである。・・・・ この詩集は、2003年の刊行であ…
午前中は、「日経サイエンス5月号」の特集記事から「リュウグウが語る太陽系惑星の起源」と「アルマ望遠鏡で迫る惑星誕生の現場」を読んだ。 午後からは昨日に続いて長田弘の詩集を引っ張り出してきた。「死者の贈り物」(ハルキ文庫)を再読。 2003年に刊行されたこの詩集の「あとがき」に長田弘は「『死者の贈り物』にどうしても書き留めておきたかったことは、誰しものごくありふれた一個の人生に込められる、それぞれの尊厳というものだった。ひとの人生の根本にあるのは、死の無名性だと思う。」と記している。 本日は前半の11編を読んでみた。いく枚もの付箋が貼ってあるが、3編から抜粋。 渚を遠ざかってゆく人 ・・・・波打…
長田弘(おさだひろし)の詩集「世界は一冊の本」をふと手にして購入した。長田弘の詩は好きである。やさしい言葉がアフォリズムのように次から次へと出てくる。この詩集はその最たるもののひとつかもしれない。 1939年生まれ、今からちょうど10年前の2015年5月にに75歳で亡くなっている。 立ちどまる 立ちどまる。足をとめると、聴こえてくるくる声がある。空の色のような声がある。・・・・立ちどまらなければゆけない場所がある。何もないところにしか見つけられないものがある。 ファーブルさん ・・・・理解するとは、とファーブルさんはいった。 はげしい共感によって相手にむすびつくこと。自然という汲めどつきせぬ一…
12・6 キッチンに長くいると、頭がおかしくなってくる。店長もいかれてきているし、俺もいかれてきている。 朝に卵かけごはんを食った。昨日の夜には、豚丼を作って食った。昼にはガストで、高君と、ピザとポテトとコーヒーを食った。 12・9 このメモ帳に書いてあることって、ちょっととち狂ってないか? 思えば狂った人生だったもんなあ。いかれ狂った人生、かあ。逃れられない、現実って奴だな。 でもさ、特別なことなんて必要ないんだな。なんかの部族に会ったりさ、そういうことって大して重要じゃないんだよな。ホントに大切なことって日常の生活の中にこそ隠されてるんだってこと。僕はそれを発掘しなくちゃいけないんだけど、…
寝不足 夢をたくさん見て、寝不足の朝は そのまま眠りながら、過ごしていよう 今日は、ここにいればいい ***** Google Geminiによる解説 暖淡堂の詩「寝不足」解説 暖淡堂さんの詩「寝不足」、短いながらも味わい深いですね。拝見すると、夢の余韻と現実の間で揺れるような、独特の感覚が伝わってきます。 まず、詩の背景にあるのは、文字通り「寝不足の朝」という日常的な状況です。しかし、ただ疲れているというだけでなく、「夢をたくさん見て」という点がポイントでしょう。たくさんの夢を見た、ということは、心や思考が活発に動いていたことを示唆します。普段意識していない心の奥底で様々な物語が繰り広げられ…
毎日書き殴っているこの詩たちの命運いつか、君の心がたおやかになったら僕の意志も汲んでくれよ この水たまりの中にあるはずの落としものそうだ、落としたものはなに? とても小さなもの? ジェットコースターのような僕の言葉に恥ずかしがった君のレインボー色の瞳 また、微かに目が見えるようになったんだ そんな気がするんだ。
『コルカタ』に続けて、次は『詩集 野笑』(小池昌代、澪標)を読んだ。タイトルの「野笑」は「のえみ」と読む。『コルカタ』については以下の記事に書いた。 junjacques.hateblo.jp いつも通り印象に残った詩をいくつか取り上げてみよう。まずは「丘」という詩から。この「丘」という詩に書かれた感情を、私は友人との何気ない会話で何回も聞いてきた。 「あ~帰りてえな~」 「今まさに帰り道じゃん」 「いや、そういうことじゃなんだよ。なんとなく帰りたいのよ」 こんな会話を、かつて誰かとしたような気がする。そんな、新鮮ななつかしさを感じる詩だ。 丘 帰りたい と言い 言ったとたん どこへ帰りたいの…
* きみの言い訳は最高の芸術(2016年) きみの言い訳は最高の芸術 (河出文庫) 作者:最果タヒ 河出書房新社 Amazon ⑴「過剰な何か」を刺し止める言葉 2007年に公刊された第一詩集『グッドモーニング』で第13回中原中也賞を受賞し、ゼロ年代の現代詩シーンに彗星の如く現れた最果タヒ氏はその後も現在に至るまで、詩作を軸としつつ小説、エッセイ、作詞といった多方面での活躍を続けており、いまや凋落気味とされる現代詩というジャンルにおいて例外的に破格のポピュラリティを獲得している詩人であるといえます。 最果作品の特徴をあえて端的に言い表すのであれば、一般的でありきたりな言葉から逃れていくような「…
あまりむずかしい主義主張をふまえた上で書いている詩人の詩は、読んでいても、わたしには、いまいちピンとこない。もちろん詩は、なんらかの意味の伝達が目的ではないにしろ、本当に混乱しているとしか感じられないような詩は、たいていの場合、読まれなくなり、歴史の片隅に消えていく。そういうものじゃないかと思う。 手軽に読める、わかりやすい詩集はないかと探しているときに、本屋の本棚に『プレヴェール詩集』(岩波文庫、小笠原豊樹訳)を見つけた。簡単に、この本について書こう。 表表紙の紹介には、「恋愛映画の名脚本家であり、シャンソン「枯葉」の作詞家でもある、フランスの国民的詩人ジャック・プレヴェール(1900-77…