「やまなし」の続き。 「死」の反対は「生」であるが、それでは詩にならない。 クラムボンの「生」は、「わらう」、「跳ねる」と書かれている。 蟹の兄弟は捕食者である魚も、さらに上位の捕食者である鳥も理解できていない。概念としての「死」を持たない。理解が無いから恐れしかない。生と死は自分たちに近い「クラムボン」の姿を通して少しだけ知っている。 死というものの全体を受け入れるまで大人は子どもを守り、養育しなければならない。母蟹は子どもを食べるかもしれない存在であり、この物語には向いていない。 宮澤賢治は『アンクル・トム』を書かなかった。もちろん、賢治が社会問題に関心が無かったわけではない。逆に現実社会…