教育者。1883〜1966。愛媛県生まれ。 1909年東京大学文学部哲学科を卒業。ヨーロッパ留学後、京城大学教授、第一高等学校長を経て46年、幣原内閣の文相に就任する。アメリカ教育使節団との初会合では、アメリカが“力は正義なり”の立場をとることがないよう要望し、その硬骨の精神は人々に感銘を与えた。47年には皇室と関係の深い学習院の院長となり、勇気と決断力をもって約20年にわたりつとめた。
中島孤島と田山花袋がほんの一時期隣人同士であった場所は、小石川区小日向水道町九十二番地(現在の文京区小日向二丁目付近)であった。 この住所について調べてみると、実は歴代何人もの著名人が関係していることがわかった。 孤島と花袋がここに住んでいた時代、敷地の所有者は、中勘助の家族であった。 ※中勘助・・1885(明治18)年生まれの小説家、詩人、随筆家。代表作に『銀の匙』がある。 中勘助の父親は、1889(明治22)年勘助が4歳のときにこの地に新築の家を建て、家族を住まわせた。そして、敷地内の数軒の家を貸家として経営していたようだ。つまり、中島孤島、田山花袋が明治36年頃に借りていた小日向水道町九…
中勘助4-水辺に向かう心- 春霞の伊豆沼 昨日4月5日私が好きな絵にダビット・カスパー・フリードリヒの「海辺に立つ修道士」がある早速見てみましょう。デビット・カスパー・フリードリヒ『海辺に立つ修道士』(部分)1809-10人は水辺に立つと決して後ろを振り返ることはしなくなる。どうしてだろう。人は,海でもいい,川でもいいとにかく水辺と向かい合うことでそこには不思議と閉じた空間と時間が生まれるのである。こういう私も伊豆沼のほとりに生まれ,子どもの頃から水辺が好きで飽くことなく水と向かい合ってきた。水面や水平線を見ていると,自分の全てが水に溶けていってしまう。自分の抱えてしまっている始末に負えないも…