カタクリまだ咲かず人は何かあるたびに水辺にたたずむ。水辺に立つということは自分では解しえない現実の脈絡もない筋書きを水という鏡に他人事のように写し出すためである。川や海が人の心を写し出す「鏡」となることを知っているからだ。一人つぶやきながら,水にもう一人の自分を語らせる。今,ゆらめいた水面に写っている自分はもう本当の自分ではない。もう他人なのだ。我が苦しみよ。我が後悔よ。そして行く宛てのない憎悪よ。去ることもない哀しみよ。そのすべてが水の中に溶け込み,沈み去るがよい。水の世界は哀しみ人の抱える脈絡もない筋書きを水底深くへ沈めていく。このように思いながら水辺を渡り歩く中勘助を見て,5回目となりま…