将軍職を息子に譲り、駿府に退いた家康は、隠棲するなり居城の門の開閉に口やかましい規則をつけた。 曰く、夜間の開閉は、如何な理由があろうとも一切罷りならぬなり、と。 この新法で迷惑したのが村越茂助だ。 (Wikipediaより、駿府城巽櫓) 茂助、ある日の都合によって、なにか用事を片付けるべく城外へと出向し――関ヶ原の件といい、不思議とこういう使い走りに縁の深い人物である――、意外に事が長引いて、帰路を急ぐころはもう、星がまたたき月を見上げる時刻であった。 案の定、門は閉じている。 型通り、 「通せ」「通さぬ」 の押し問答をやってはみたが、むろん何の効もない。 癇の虫をまぎらわすべく、足踏みなど…