京都・舞鶴港で復員船から来る青年が来るのを待っていた母親の話。
この話は、終戦間もない昭和21年に復員した兵士が京都・舞鶴港から引き上げてきた。しかし、復員船がなくなっても帰還を待ち望んだ母親がいた。毎日のように舞鶴港に足を運び、ただひたすら帰ってくるのを待ち望んだ。これが歌などでおなじみになった。その母親は、息子の帰りを待ち望みながらこの世を去った。
このエピソードを基に昭和29年、菊池章子が「岸壁の母」として発売し、ヒットした。が、それをもっと有名にしたのは、二葉百合子のセリフの入った「岸壁の母」だった。のちに吹き込みした二葉百合子の壮絶なまでのセリフの入った曲に再び注目されることになり、大ヒットに結びついた。この二葉百合子の歌のほうがおなじみになったと言えよう。