旧形客車、「旧客」と略される。他に雑型客車・在来形客車・一般形客車とも呼称される。国鉄の現場で「新系列客車」と呼ばれた20系以後の客車との対比で使われたという歴史から、おもに10系客車以前の国鉄の客車を指すことが多いが、明確な定義はなく議論の余地がある。また、10系客車を「軽量客車」と分類し、スハ43以前の客車を指す場合もある。
2025年6月28日(土) その①の続きで、引き続き大井川鐡道を追いかけて行きます。 お昼も食べたところで再び大井川鐵道沿線へ。 今度は家山川に掛かる橋梁に行ってみます。 大井川鐡道大井川本線 大和田~家山101レ 急行 かわかぜ1号 川根温泉笹間渡行 ED31 4+旧客2両+E101 太陽が雲に隠れてしまいましたが、家山川橋梁を国鉄特急色風の電気機関車がやってきました。 電気機関車単体だとなんだかBトレぽく見えますね(笑)。 急行かわかぜ1号は家山で15分ほど停車するのでその間に先回り。 終点の川根温泉笹間渡手前の大井川土手に向かいます。 大井川鐡道大井川本線 抜里~川根温泉笹間渡101レ …
1983/03/19 久大線 恵良/引治、636列車 鳥栖行、オハニ36 15 今回は、久大線上り636列車。オハニ36は大分側連結のため、列車の最後部になる。 連結面下部で、連結器両側の白いコックはMR管であり、50系併結改造実施がわかる。 この改造があると、機関車と50系客車の間に旧型客車が連結でも50系客車の自動ドアは 開閉可能になる。 ※鉄道ピクトリアル1029(50系客車)にこの内容詳細有り。 P72~76に記載、P10/P13~14に写真/記載あり。 ちなみにオハニ36の客室側は、旧型客車に連結時は隣の座席車側としていたらしい。 例えば筑肥線の旧型客車の例のように、荷物室側が最前部…
1983/03/19 久大線 豊後森/恵良、2633列車 大分行 今回も久大線2633列車から。豊後森で増結のオハニ36+50系客車5両となっていた。 豊後森で実質80分停車となるため、駅で撮影後に歩いての移動でも十分な時間があり。 今回の撮影画像を得ることが出来た。 しかし、列車番号が変わるとはいえ1224着1344発で、接続列車もなく80分も停車。 いくら増結や荷物対応を考慮もかなりの長時間停車。これで問題はないのであろうか? そのまま通しで乗る客が居たら、駅前食堂で昼御飯も、本当にあっておかしくはない。 それとも通しでの乗客は基本皆無であり、その考慮の必要性はなかったのであろうか? ある…
1983/03/19 久大線 豊後森、2633列車 大分行 今回は、633列車が豊後森で80分の長時間停車、50系客車2両増結の2633列車から。 本日はオハニ36 20を使用。残念ながらオハニ36のハ室は営業せず、乗車は出来ない。 添乗していたのは、荷物対応の職員さん?休息中であろうか。 今回に限らず、久大線の50系客車+オハニ36の場合は、オハニ36の50系客車側寄りは 荷物室となっている編成の画像しかみつからず、基本ハ室は上り列車下り列車にかかわ らず非営業であったと思われる。 合造車の客室が非営業の例は他にもあったらしく、1977年頃の例では以下参照。 天王寺1500→112Dきのくに…
1983/03/19 久大線 日田、633列車 大分行 今回から、久大線の50系+オハニ36の633/2633列車と636列車を中心に掲載予定。 前年1982/03/25に、久大線/宮原線に行った時に、恵良で交換の636列車に50系客車の 最後部にオハニ36の連結があり、再訪を思って翌年実行したときの撮影画像になる。 下りは、別途で633列車/2633列車であることが判明、それに合わせて実施となった。 久大線撮影では、最重要撮影対象の列車として臨む。 以下、編成/運用は、国鉄客車ガイド(JRR,1983/07/20)P107から抜粋 時刻は、JTB時刻表1983/03から抜粋 633列車:鳥栖…
1982/03/27 鹿児島線 門司、1420列車 ながさき、ナハフ10 2002 1982/03/27 鹿児島線 門司、1420列車 ながさき、ナハフ11 17 今回は夜行ながさきの車両から。しかしナハフ10とナハフ11しか見つからなかった。 まずこの2両から。鉄道ピクトリアル2017/02別冊10系軽量客車から抜粋 ナハフ10 2:1956年製、電気暖房設置でナハフ10 2002(1963年) 廃車は1983年 ナハフ11 17:1957年製、廃車は1984年 ※ナハ10/ナハフ10は、当初は白熱灯+客ドアは折戸→のちに改造 ※ナハ11/ナハフ11は当初から蛍光灯+客ドアは開き戸 当時、夜…
1983/03/19 長崎線 鍋島/久保田、長崎線 佐世保線 425列車 佐世保行ニ/ニ/門24(早岐4両)/門付22(鳥栖3両)の9両編成 今回は、長崎線の普通列車から。当時は少数の客車による普通列車が存在していた。 基本的に朝夕の多客時で、同時に郵便荷物車も連結で、それらの輸送も兼ねていた。 最初は下り佐世保行425列車。荷物車2両を入れて9両、結構長い編成になっていた。 最後部は少々危ない「特等展望車」、旧型客車は、ある確率でこれが実現してしまう。 西日本では荷物車が一般に下り側に連結が多いため、下り列車で、かつ最後部車両の 車掌室の位置によってそれなりに実現しうる。今回425列車ではう…
1983/03/19 長崎線 鍋島/久保田、唐津線佐賀行722列車 今回は、唐津線の普通列車から。唐津線には当時1往復の客車列車が残っていた。 722列車:西唐津612→804佐賀 727列車:佐賀917→1103西唐津 西唐津(門ニシ)配置は8両、撮影画像から5両使用?(土曜休日は減車?) オハ35:816、1080、1206 オハ46:547 オハ47:37 オハフ33:407 スハフ42:148、277 ※国鉄気動車客車編成表1982から抜粋 なお、オハ35とオハフ33は体質改善車で原則青 ※別途、国鉄客車編成表1980では7両編成の編成記載あり 気動車使用線区で1日1往復残存の客車列車…
1983/03/16 筑肥線 博多、2549列車 東唐津行、博多入線直後、スハ43 414 前回に続き、筑肥線電化前に朝夕で1往復運用の客車列車に連結のスハ43 414から。 同じく、車両端部の座席撤去実施の通勤客車で、新たに設置された吊り輪が目立つ。 夕方の下り2549列車入線直後の画像をまず掲載、基本はスハフ42 146と同様。 1983/03/21 竹下、スハ43 414(通勤改造、端部座席撤去) 2枚目は、竹下で撮影のスハ43 414。外観で、通勤改造は窓から見れば区別は可能。 編成がばらされたようで、その時は3両連結の中間であった。外からでも、座席撤去の 様子がうかがえる。詳細は次の…
1983/03/16 筑肥線 博多、2549列車 東唐津行、スハフ42 146、博多駅入線直後 今回は筑肥線電化前に、東唐津まで朝夕1往復の客車列車連結のスハフ42 146から。 オハニ36を差し置いてこちらの車両に注力の理由は、車両の端部のドア近傍の車内の 座席撤去を実施の通勤客車であったため。デッキドアは残したが、両端部から2窓分、 4人掛けそれぞれ4か所ずつ撤去を実施した。そのあとには立客用に吊り輪を設置済。 実際に乗車でスハ43系(スハフ42)の車内の吊り輪をみると、妙な違和感が漂う。 特に、いわゆるロングシートがない状態での吊り輪の存在がどうしてもアンバランス。 客車の通勤改造という…