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春風萬里荘

(アート)
しゅんぷうばんりそう

笠間日動美術館の分館春風萬里荘は、「芸術の村」の中心施設として、昭和40(1965)年北鎌倉より移築されたものである。彫刻家、画家、陶芸家が心おきなく制作に励める地「芸術の村」は同年、笠間市内の丘陵地に設けられている。

茅葺き入母屋造りの重厚な構えの江戸中期の建物は、もともとは現在の神奈川県厚木市近郊の地にあたる高座郡御所見村の豪族で大庄屋でもあった伊東家の母屋であった。昭和の初めに北大路魯山人が北鎌倉・山崎の地にひらいた星岡窯の母屋として移築し、自らの住居とした。

建物の内部では「万能の異才」とうたわれ、万事に凝り性であった魯山人の才を随所に偲ばせる。元来の厩を改装した洋間では、床に欅の木タイルを嵌め込み、暖炉には自然石を積み上げるなど魯山人の創意工夫が見られる。また自作の織部風陶板を一面に貼りめぐらした風呂場は必見。展示室では魯山人の陶芸作品の数々を鑑賞できる。

茶室「夢境庵」は、千宗旦(千利休の孫)によってつくられた裏千家の名茶室「又隠」(1653年築 ゆういん)を手本に魯山人が設計したものである。三畳控えの間、四畳半本勝手、洞庫口水屋からなり、床柱は黒柿、長押は南天の樹を用い、躙り口のほか貴人口(きにんぐち)が設けられている。北鎌倉に在った時は、母屋より離れた茅葺き入母屋造りの独立した茶室で、魯山人の安息所として使用された。

これらの魯山人の手になる部分は、彼の「美的空間で日常坐臥を満たさねば、美しいものを生み出せない」との考えの下に創造されたものである。

また約3600平方メートルの敷地には広大な庭園が造成され、園内には江戸時代の豪農屋敷の長屋門、睡蓮の池にかかる太鼓橋があり、四季折々の草花に恵まれ、訪れる人々の心を和ませている。昭和63(1988)年には建物北側に龍安寺の石庭を模した枯山水の庭が設けられ、美術品鑑賞に疲れた来館者の眼に憩いをもたらしている。

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