東京都墨田区横網の横網町公園内(旧・陸軍被服廠跡)にある慰霊施設。
陸軍被服廠は1919年に赤羽に移転したため、東京市に譲渡され、公園予定地となっていたが、1930年、関東大震災により東京市内で死亡した身元不明の遺骨(約58,000人分)を納めるため、東京震災記念事業協会によって「震災記念堂」として建てられた。
その後、東京大空襲により、東京では7万7000人あまりが死亡したことから、1948年より、各地に仮埋葬された身元不明の遺骨(約105,000人分)を納骨堂に改葬し、戦災者整葬事業が完了した1951年に「東京都慰霊堂」と改称した。
本堂は伊東忠太設計で寺院風の建築となっている。200坪の講堂を持ち、高さ約41mの三重塔がその奥にあり、基部は納骨堂となっている。講堂には祭壇があり、震災死亡者、空襲死亡者の霊をそれぞれ合祀した巨大な位牌が2基祀られている。