自分が生を受けたのは東北の内陸部でした。貧農の三男であった父親は苦学して生物学を学び資格試験で旧制中学の教師になった人でした。視覚を駆使し、植物や鉱物、動物の見分けなど子供の時話してくれたのを今頃思い出したりします。科学に対する対し方を暗黙に見せていたようです。一方では戦前は聖書を読んだりもしていたようです。 でも交際は苦手で、また母もそれをカバーできるような家庭ではありませんでした。今思うのですが自分がそんななかでここまで何とかやってこれたことはラッキーだったとも思うのです。 大きく振り返っては文化は西から東に向かってきていたと感じています。自分が物心ついた時は終戦でしたが京都から疎開してい…