パンムンジョム 1953年に朝鮮戦争の休戦協定が締結された地点。この地を通って軍事境界線が設定され、以後現在まで南北分断の象徴となるとともに、南北間で会議や捕虜の引渡しを行う場合にはここの施設を使用してきた。 「北緯38度線上」にあるといわれるが、ここでいう38度線とは軍事境界線のことであり、実際には北緯37度57分に位置する。
朝鮮半島が北緯38度線で韓国と朝鮮の南北に分断されていることは皆さんも知っていると思う。 実際にどうなっているのか見学してきた。 訪問日: 2013年12月28日
朝鮮半島は北朝鮮と韓国に分断されている。その唯一の接点が板門店である。 韓国側からの訪問記はしばしば見かけるが、北朝鮮側からの記録はなかなか少ない。今回は北側から南側を見たレポートをお届けする。 訪問日: 2016年3月9日
平壌からの夜行列車は、4月22日午前6時に着いた。開城には外国人旅行者用の車がないので、ソウルから来た車と太さんが待っていた。私は、その車で太さんと共に駅から民族旅館に直行した。 早朝の開城駅 開城の民族旅館 民族旅館の筆者が逗留した部屋 部屋に設置されたテレビ 民族旅館の朝食を準備する女性 民族旅館の朝食 人口30万の開城は板門店の南にあり、38度線近くの西に位置し、朝鮮戦争当時は国連軍の支配下にあったので、アメリカ軍の空襲を受けなかった。そのため北朝鮮で古い街並みがそのまま残っている唯一の町となった。この古い街並みをうまく利用して町の一角を博物館とし、昔の建物をそっくりそのまま民族旅館とし…
ソウルから北へ60キロの道程にある板門店には、個人が自由に訪れることはできない。外国人ならば、大韓旅行社(KTB)が取り仕切っている1日バスツアーに参加して、土曜、日曜、祭日以外の日には訪れることができるが、韓国人はまだ行くことができない。私は、翌4月17日、ソウルから板門店を訪れることにした。 ソウルからバスで統一路を北へ向かう。汶山を過ぎてしばらく行くと、臨津(イムジン)江にかかる「自由の橋」を渡る。ここから先はしばらく撮影禁止。 韓国人はイムジン川手前のここまで来られるが、これから北へは行けない 鉄条網の向こうに見えるイムジン川にかかる自由の橋 38度線に沿った軍事境界線は、幅4キロ、長…
板門店の軍事境界線。 目次 日本社会党一行が板門店視察に行った 平壌(ピョンヤン)空港に降り立つ 高速道路が前日に開通! ハプニングが起きた 板門店に着いた 朝鮮戦争休戦協定が結ばれた場所 高速道路からみえた風景・・・ 「案内員」のこと 金日成と記念撮影 日本社会党一行が板門店視察に行った 韓国と北朝鮮の軍事境界線上にある板門店(パンムンジョム)に、 北朝鮮側から入ったのは1992年4月13日でした。 当時存在した「日本社会党」の北朝鮮訪問団に同行して、日航チャーター機で、国交のない北朝鮮・平壌に着陸しました。 金日成主席の満80歳の誕生日を祝う式典に参加するためでした。 その時に撮った写真を…
臨津閣から「JSA安保見学館」まではソウルから乗ってきたツアーバスで移動します。この区間以降、車中からの撮影は禁止。途中の検問所で憲兵が乗り込んできてパスポートのチェックを受け、ツアー参加者の緊張感が高まります。 JSA安保見学館から板門店へ 板門店に到着 軍事停戦委員会会議場 最後に 余談 JSA安保見学館から板門店へ 板門店ビジターセンターのJSA安保見学館で説明スライドを見ながら見学に際しての注意事項などの説明を受け、「不測の事態で撃たれたり死んだりしても文句は言いません」といった趣旨の誓約書にサインします。そして国連軍の"GUEST"バッジを受け取りJSA専用バスに乗り換えて板門店に向…
日々動きがある北朝鮮情勢から目が離せない今日この頃、4月27日の南北首脳会談では金正恩委員長が板門店までやってきて驚きでした。私は板門店は2度訪れたことがあり、自分も行ったことがある場所に「北の最高指導者」が現れる様子を当日TVの生中継で見ていると不思議な気分でした。今回は私が板門店に訪れた際の模様と先日の首脳会談も織り交ぜながら記します。 板門店に行くには? 注意事項など ソウルからバスで北上 第3トンネル 都羅山 昼食のブルゴギ 臨津閣と自由の橋 板門店に行くには? 厳しく統制されている軍事境界エリアなので当然個人では行けません。ツアーに参加する必要があります。私は1997年2月も今回もK…