「人びとのなかの冷戦世界」(益田肇著、岩波書店)によると、タイトルの答えは毛沢東の気まぐれとしか言いようがありません。 毛沢東が最初に参戦を要求されたのは、中華人民共和国の建国1周年の1950年10月1日です。その夜のうちに毛沢東は中国参戦の電報を作成しますが、それは打電されませんでした。翌日の10月2日、毛沢東以外の共産党の全幹部が中国参戦に反対したからです。林彪も、人民志願軍の司令官になる毛沢東の要請をすげなく断っています。10月2日夜、毛沢東は駐中ソビエト大使のロシチンに「第一に、かりに参戦しても中国軍の装備が貧弱なため、アメリカ軍は中国軍を完全に制圧すること」「第二に、中国参戦は米中全…