江戸時代から続く落語家の名跡。
1915年に長野県で生まれた小さんの本名は小林盛夫。
剣道を習ってる最中、ケガしてしまう。そんなとき、4代目小さんが新聞に「人格者」だとことを知り、18歳で門を叩く。落語の基礎を学ぶが、20代になると、戦地に召集され、ビルマ(ミャンマー)へ送られる。戦後復員し、本格的な落語を学ぶが、4代目が間もなく死去。1950年に5代目小さんを襲名した。
古典落語を得意とし、野太くきっぷのいいしゃべりの落語で人気を集める一方、落語協会会長を1972年から96年まで務めた。1995年には落語界から初の人間国宝認定を受けた。
その小さんは、惜しまれながらも2002年にこの世を去った。内弟子は孫弟子を含めて60数人と言われた。特に、柳家花禄は、小さんの孫ながらその孫弟子で将来の落語界に期待が大きい存在である。
2006年秋に五代目の長男柳家三語楼が六代目襲名した。