武田五一(1872-1938)は広島県生まれの日本の建築家。東京帝国大学卒業後、同大学助教授などを経て、京都帝国大学建築学科を設立する。関西建築界の立役者の一人。現在まで続く雑誌『新建築』創刊にもかかわる。アールヌーボーなどの新しい建築を日本に紹介する一方、フランク・ロイド・ライトを日本に手引きするなどその活動も闊達であった。新しい建築だけでなく、古建築の修景にも深くかかわる。
みなさま、こんにちは♪ 今日の記事は前回の「六波羅蜜寺」に行った日の続きです。 ↓前回の記事 kazenokomichi.hatenablog.jp さて、「六波羅蜜寺」を出た後、幽霊子育て飴のお店のところで松原通、 六道の辻に入りました。 六道の辻「六道珍皇寺」(この写真は2015年に撮ったもの…あ、10年前だ) 六道珍皇寺は以前「京の冬の旅」の特別拝観で2回訪れているのですが、なぜか単独の記事にしていなくて…^-^;(記事をそのうち書く詐欺をしてました、笑) ↓これとか kazenokomichi.hatenablog.jp↓これとか kazenokomichi.hatenablog.jp…
一昨年(令和4年)7月6日の京都新聞に建築会社あめりか屋が令和5年に設立100年を迎え記念誌の発行を予定している旨の記事(樺山聡記者)が載った。続報が出たのか不明だが、大阪市立中央図書館で『あめりか屋HISTORY一〇〇年の道のり』(あめりか屋、令和5年10月)を見つけて目次をコピーしてきた。 時間がなく本も禁帯出のため、とりあえず「富岡鉄斎邸と富岡益太郎ー文人画家の安息の地」だけを読んだ。鉄斎邸の施工は知っていたが、息子謙蔵と交流があった江馬務邸の施工にも携わったとあり驚いた。江馬については、『歴代風俗写真集』『歴世風俗印画集』の復刻版(日外アソシエーツ)が昨年と今年刊行されたとの記事(行司…
JR京都駅前バスターミナルからすぐ北に「関西電力京都支社」。 1937年竣工、旧京都電燈本社ビル、設計は武田五一、武田五一にしてはオーソドックスで地味なスタイルですが堂々とした重厚さを感じる昭和初期のモダニズム様式。 格子状に配置された窓とコーナーの曲面で、安井武雄 設計で1933年に竣工した「大阪瓦斯ビルヂング」と似た雰囲気を感じます。 左ベージュ色角が曲面のビルが「旧京都電燈本社ビル」現関西電力京都支社。 黒御影石で飾られた玄関。 ランキング参加中京都 ランキング参加中神社仏閣・古墳・歴史的建造物めぐり
旧日本勧業銀行本店(現千葉トヨペット本社)【千葉県千葉市美浜区稲毛海岸4−5−1】設計:妻木頼黄・武田五一竣工年:1899年(明治32)6月Photo:2014年10月 日本勧業銀行本店は、明治32年6月、東京日比谷公園前に竣工し、その後谷津遊園楽天府、千葉市市役所庁舎と移築を繰り返し、現在は千葉トヨペット本社として、使用され平成9年に有形文化財に指定されている。屋根は建築当時の木造銅葺ですが、躯体は鉄筋コンクリート造に変わっています。外観を損なわないように周辺には、高い建物を建てないように配慮されています。 よかったと思ったら、クリックお願いします。 ←人気ブログランキングへ(日記・雑談 […
武田五一が設計した1928ビル 三条通と御幸町通の交差点に1928ビルという古くて目立つビルがある。文字通り1928年に建設され、1999年までは毎日新聞社京都支局として使われていた。このビルを設計したのが「関西近代建築の父」と言われた武田五一氏。建築業界2018.12にある彼の経歴は次の通り。 明治5(1872)年、広島県に生まれた。父は書画に造詣が深く、武田は幼少の頃からその薫陶を受けたという。晩年までポケットにスケッチブックを忍ばせていた彼のドローイングに関する素質の原点が、ここにうかがわれる。明治30(1897)年に東京帝国大学工科大学造家学科を卒業した武田はそのまま大学院に進学。2年…