治天の君

治天の君

(一般)
ちてんのきみ

院政を執り行う上皇・法皇のこと。
上皇・法皇が同時期に複数人存在していても、治天の君はひとりだけである。
当初は原則の資格として当時の天皇の尊属の元天皇(上皇)でなければならなかったが、後高倉院が初めてその例外として治天の君になってからは、その原則は形骸化した。


また天皇として即位せずに上皇になった者もいくらかいるが、その中ではただ一人、後高倉院が治天の君に就いた。
女性、非皇族としては北朝の西園寺寧子が唯一、治天の君となった。
また、上記の南北朝時代の混乱期の事情もあり、後円融院が逝去した1393年の翌年12月に足利義満が征夷大将軍を辞官してからその死の1408年5月までは、足利義満(鹿苑院)自らが、武家だけでなく公家社会でも最高実力者であったため、事実上の治天の君代行だったこともある。
その後院政制度自体は、江戸時代の光格上皇まで不連続ながら続くが、足利義満の死から2代目(後小松上皇→後花園上皇)の後花園上皇の死後は、皇室の財政窮乏化により天皇位の終身在位がなし崩し的に定着し、また皇室の権威が諸事情により一番弱まった時期だったこともあり、日本の『治天の君』という特殊制度は事実上自然消滅した(その後の近世の上皇は、公家社会だけの支配者であり、豊臣秀吉や徳川将軍が名実ともに事実上の日本の最高権力者だったため)。

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