見方によってはアメリカ独立戦争こそが、オーストラリアの産婆役であったと言える。 (Wikipediaより、レキシントンの戦い) 一七七五年四月十九日、開戦の号砲が鳴る以前。イギリスからは毎年およそ千人前後の囚人が、北米大陸に送り込まれる「流れ」があった。 一世紀以上の長きに亘り、保たれてきた「流れ」である。 受け取り先は各地の地主。用途については、敢えて語るまでもなかろう。 ところが戦争がすべてを変えた。 砲火の前に、あらゆる伝統は屈服せずにはいられない。無用なものは片っ端から毀たれて、新秩序建設の礎となる。流刑植民地の役割を、アメリカはもう担ってくれなくなったのだ。 さても迷惑なことだった。…