[目白・練馬を通る清戸道の由来、起点と終点] 江戸時代の書物には、「清戸道」という名前の書かれたものは見つからず、明治9年度の東京府管内統計表に初めて清戸道を三等の道路として見出すことが出来ます。そこには、清戸道の駅名が上土支田村とあり、里程が5里16町29間とあります。この統計表に出てくる道の名称は、〇〇間道や黒駒道など江戸時代から慣用されていた名称とは思えないものもあります。明治9年5月まで、東京府の道路の管理は、東京会議所が行っていたのが、その後東京府に移管されたようで、清戸道の名前は東京会議所の所員が道路の管理に必要であるから名付けていたものと思われます。上土支田村の関係者と相談して命…