トキワ荘とは、当時の売れっ子漫画家・手塚治虫が「漫画少年」編集部の誘いで住み始めたことから、漫画家を志す若者たちが全国から集まり、寝食を共にした2階建ての木造アパートである。
ただし、手塚治虫が入居していたのは、昭和28年から29年の約一年間で、実質的なまとめ役は、寺田ヒロオだった。寺田を中心に「新漫画党」という新人漫画家のグループが結成された。
彼らが入居した当時は、戦後まもない日本で漫画を書くことが「不良行為」と見なされる時代だったので、彼らにとってここは、同じ志をもつ仲間と思う存分、漫画に打ち込める素晴らしい環境であった。こうして、トキワ荘は実力ある若手漫画家が集まり、のちに「漫画家の梁山泊」と呼ばれるまでになった。トキワ荘の当時の家賃は、1ヶ月3千円(敷金3万円、礼金3千円)。
・トキワ荘の主な入居者:
手塚治虫、寺田ヒロオ、藤子不二雄(安孫子素雄、藤本弘)、鈴木伸一、石森章太郎、赤塚不二夫、森安なおや、水野英子、よこたとくお。
・トキワ荘に出入りした主な漫画家:
永田竹丸、つのだじろう、園山俊二、長谷邦夫、しのだひでお、横山孝雄、高井研一郎。
時には、つげ義春、滝田ゆう、松本零士、ちばてつや等が訪れることもあった。
豊島区南長崎3-16(旧住所は、豊島区椎名町5丁目2253番)、本キーワード写真の建物は、築後30年の1982年12月に一旦取り壊されて新しいバス・トイレ付きの高級アパートに建て直されたもの。このトキワ荘の看板は「赤塚不二夫」が書いたものである。
しかし残念ながらその新たに新築されたトキワ荘も後に取り壊されて、現在は建売住宅と隣の会社の建物になっている。
一時は、そこがトキワ荘跡地であることを示すものが近辺に何もないような状態が続いたが、2007年、トキワ荘跡地への私道入口に誘導看板が設置され、09年には跡地近隣の南長崎花咲公園に記念碑「トキワ荘のヒーローたち」が完成、除幕式が行われた。さらに2012年になって、トキワ荘のあったその場所に「トキワ荘跡地モニュメント」が建てられた。
現在、地元の商店会や町会を中心に発足した「トキワ荘通り協働プロジェクト」が、トキワ荘のあった街からさまざまな情報発信やイベントなどの活動を行っている。
赤塚が仕事場として使っていた「紫雲荘」は今も建物が残っており、その場所を活用して、漫画家を目指す若者のために「紫雲荘プロジェクト」が展開されている。
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