安和元年11月29日(968年12月21日)〜永承3年4月17日(1048年6月1日) 日本の平安時代中期の武将。河内国を本拠地とする河内源氏の祖。源満仲の三男。 摂政関白の藤原道兼に、道兼の死後は藤原道長に仕え、諸国の受領や鎮守府将軍などを歴任した。また、河内国石川郡壺井(現在の大阪府羽曳野市壺井)に土着して香炉峰の館を建て本拠地とした。
実は武勇を振るわなかった源頼光 四天王と共に酒呑童子を退治したという武勇伝で知られる源頼光。しかしその実像は藤原道長に取り入って出世した武士というのが本当のところだという。それに対して真に源氏の武を司ったのは弟の頼信である。今回はこの兄弟に注目する。 酒呑童子を討ち取る源頼光と四天王という後世の伝説 頼光は父を超える出世をして殿上人になった人物であるが、彼の出世の秘密は父から受け継いだ財産を惜しげもなく道長に対しての贈り物などに使用して媚びたことによるという。道長の屋敷が焼けた時などは直ちに美濃から駆けつけ、2年後に道長の邸宅が再建された時には豪華な調度品を贈ったという。このような道長に接近し…
膝丸は源氏の重宝として伝わる太刀 <太刀 □忠> ・鎌倉時代 ・作者不明 ・重文指定日 1923.03.28 ・京都大覚寺 所蔵 源氏に伝わる名刀の1つで、試し斬りの際に罪人の膝まで斬ったことが名の由来。 大覚寺以前の来歴は不明だが、大覚寺は本刀を「銘刀:薄緑(膝丸)」と称している。 作者については、筑前正応、筑後光世、奥州文寿、宝寿など異説が多く特定には至っていない。 髭切と同じく膝丸は、「源平盛衰記」の「剣巻」にて出てくる説話である。 平安時代に源満仲が天下守護の為に造らせた剣の1振である。 ・満仲の子・頼光(清和源氏3代目)が土蜘蛛という人喰い妖怪を斬った為「蜘蛛切」と呼ばれた。 ・頼光…
獅子舞がなぜ全国に広がっていったのか。今では47都道府県に伝えられているわけだが、その最初の起爆剤のひとつが、八幡信仰だった可能性がある。これはどういうことなのか。東大寺大仏殿開眼供養が行われた752年。この年に、日本全国から参列に駆けつけた人々は伎楽の中に登場する獅子を見たはずだ。開眼供養には全国から1万人以上の参列者が来たという盛況ぶりだったという。この東大寺大仏の大きな発起人となったのは749年まで在位を保っていた聖武天皇やその想いに応えた行基たちである。聖武天皇と獅子舞との関わりはそもそも奥が深く、鈴鹿の椿大神社で741年に最初期の獅子頭が作られたこと、そして東北のしし踊りの起源のひと…
文学部にいたときに、初期の武士団(平清盛以前)について、興味深い本を見つけたので紹介します。 河内源氏 頼朝を生んだ武士本流 -元木泰雄 著|新書|中央公論新社 増補改訂 清盛以前 - 平凡社 『源平合戦の虚像を剥ぐ 治承・寿永内乱史研究』(川合 康):講談社学術文庫|講談社BOOK倶楽部 もちろん、研究史の整理として、岩波講座日本歴史の最新版も大切。 おまけ 大河ドラマ「光る君へ」にも、上記に出てきた人が登場していたはず。 道長四天王~平維衡・平致頼・藤原保昌・源頼信~ なお、 平安貴族 - 平凡社 の「ミウチ政治」は重要概念。私は東洋史にいたので、後漢~唐の政治史に応用できないか、と考えて…
2020年5月5日の子どもの日のこと…… 東急大井町線荏原町駅前の法蓮寺を出て、仲通りを少しだけ上ると…… 「旗岡八幡神社(はたがおかはちまんじんじゃ)」……(品川区旗の台3-6-12)「旗岡八幡神社と鎌倉道」として「しながわ百景」に選ばれている。参道前のこの道が鎌倉道なのだろう。左の馬込方向に歩くと、直に「天明三年(1783年)銘石造道標」「天保二年(1831年)銘道標」に会える。昨年12月に、唯一、連れ合いと散歩をした折、小室商店の脇の喫煙所で私が一服している間に天明三年の道標は連れ合いが眺めていた。 存在感充分な大鳥居……真東から真西へ向かう参道。 文化5年(1808年)奉納の狛犬……背…
朝は西小山でホットドックモーニングを食べたのだが、なぜか午後にも同じような方向へ散歩に行った2020年5月5日の子どもの日のこと…… 昭和大学病院には新型コロナ対応のテントが出来ていた。最近はすっかり歩かなくなったので不明だが、発熱患者が少ないとは言えない現在も置かれているかもしれない。目黒病院では、今も駐車場脇にも簡易テントが張られ、PCR検査などは屋外で行っているようだ。 立会道路から中原街道を渡り、旗の台駅東口近くのこんな路地を入ると踏切の手前に赤い幟が目に入る。 赤い幟を左に入ると、道案内のように、また幟が立っている。 奥に進むと駐輪場に阻まれるが、柱の隙間から失礼すると…… ビルとビ…
西久保八幡神社 目次 名称・旧社格 創建 御祭神 見どころ アクセス 探訪レポート 名称・旧社格 八幡神社と称します。通称、西久保八幡神社と呼ばれています。旧社格は郷社です。 創建 寛弘年間(1004-1012年)源頼信によって霞が関あたりに創建されました。 御祭神 品陀和気命(応神天皇) 息長帯比売命(神功皇后) 帯中日子命(仲哀天皇) 見どころ 2019年より2021年の「令和の御造替事業」によって、非常にきれいな境内になっています。麻布台ヒルズと霊友会釈迦殿の隣りにあり、高層ビルと新興宗教施設と神社のコントラストも一見の価値ありです。 アクセス 東京都港区虎ノ門5-10-14 東京メトロ…
2024.7.13(土) 今日の散策は、川越八幡宮~中院~仙波東照宮の予定です。 では、本川越駅から出発します。 【 川越八幡神 】 今日の花手水はアジサイ 令和12年(西暦2030)で創建1000年を迎えます。 長元3年(1030)、甲斐守源頼信によって創祀されたと伝えれれています(川越八幡宮HP参照) 現在、裏参道入口付近の改修が始まっていました。 社殿 社殿前の花手水 * 民部稲荷神社 * 神使いのおキツネさまが控えています 可愛らしいおキツネさま ※一部抜粋 昔、八王子に住んでいた老狐が、人間に化け「民部」と名のり暮らしていたが、老僧に正体を知られたため、川越の梵心山に移り住んだ。 「…
今回は山梨県甲府市千塚(ちづか)の八幡神社(はちまん-)について。 八幡神社は甲府市西部の市街地に鎮座しています。 創建は社伝によると769年(神護景雲三年)で、市北部にある八王子山の神を当地に遷座したのがはじまりとのこと。平安中期に源頼信が社殿を造営し、以降、甲斐源氏の崇敬を受けたようです。その後の詳細な沿革は不明ですが、信玄の時代に隆盛をきわめ、武田氏滅亡後は荒廃したとのこと。江戸時代には、1713年(正徳三年)に社殿が再建されました。明治時代には村社に列しています。 現在の境内と社殿は、江戸中期の再建によるものと思われます。境内には随神門や多数の境内社が点在しています。 現地情報 所在地…
1028年 平忠常の乱←源頼信(よりのぶ) ゴロ:負けとるニヤッ(1028)と平忠常
金王八幡宮 目次 名称・旧社格 創建 御祭神 みどころ アクセス 探訪レポート 名称・旧社格 金王八幡宮と称します。旧社格は郷社です。 創建 寛治6年(1092年)に、河崎基家(渋谷重家)によって創建されました。 御祭神 応神天皇(=品陀和気命) みどころ 渋谷駅にほど近い立地で、木々に囲まれた神域を感じられる境内です。神楽殿の前にベンチがありますので、静かに時間を過ごすことができます。 アクセス 東京都渋谷区渋谷3-5-12 JR山手線「渋谷」徒歩5分 探訪レポート 渋谷駅から徒歩圏内、金王八幡宮へ行ってまいりました。国道246号線から1本入った立地で、オフィスビルに囲まれています。八幡通り…
東横イン奈良王寺駅南口。結局、6時まで寝た。6時半からの朝食には一番乗りだった。今日は太子町を狙った。前回の古市で味をしめたのだった。 706発、大和路線JRなんば行きで柏原まで。柏原駅からは近鉄道明寺線に乗り換え。道明寺線は2011/5/5の乗り潰し以来の乗車。まさか用事があって乗るとは思わなかった。JRのホームの端に切り欠きのホームがあり、これが道明寺線だった。ホームには改札機があり、近鉄に乗り換えるにはタッチしなければいけなかった。道明寺線は柏原から道明寺のわずか2.2kmを結んでいた。地図上で見るとなぜ存在するのかわからないような盲腸線だったが、元々は近鉄で一番古い区間だった。乗ろうと…
前回、江戸三十三観音第18番札所真成院に参拝しながら四谷をめぐり、第19番札所の東円寺も訪れた。今回は第20番札所天徳寺、第21番札所増上寺に参拝しながら芝をぶらぶらしようと思う。 1.天徳寺 2.愛宕神社 3.NHK放送博物館 4.西久保八幡神社 5.日本経緯度原点 6.芝丸山古墳・芝東照宮 7.増上寺 初回記事はこちら↓ octoberabbit.hatenablog.com 前回記事はこちら↓ octoberabbit.hatenablog.com 1.天徳寺 今日は神谷町駅からスタートだ。 神谷町駅 神谷町駅から北に進むとナチュラルローソン虎ノ門巴町店があり、ここには「なっ!とくしま」…
平安時代について断片的な知識しかなかったので、 平安時代の出来事を年表にまとめた。 関連記事 参考 平安時代の概要 平安時代の小区分 平安前期 平安中期 平安後期 平安時代の文化 悪霊と祈祷の時代 平安時代の出来事 平安前期の出来事 781年 (天応元年) 桓武天皇 即位 794年 (延暦13年) 平安京に遷都 800年(延暦19年) 富士山が噴火 (延暦の大噴火) (805年 (延暦24年) 最澄 が 比叡山延暦寺 を創建 806年 (大同元年) 平城天皇 即位 806年 (大同元年) 空海が 高野山金剛峯寺 を創建 807年 (大同2年) 伊予親王の変 809年 (大同4年)(809年) …
・ ・ ・ 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。 ・ ・ {東山道・美濃国・百姓の次男・栗山正博}・ 2024年3月7日 YAHOO!JAPANニュース 歴史人「【日本史の新常識】「武士」のはじまりはどこにある?「農民の武装化」から生まれたって本当? 古代日本において、律令制のもとで支配層にいた貴族たちに台頭した「武士」は、どのように生まれ、どのように貴族にとって代わっていったのだろうか。 従来説:東国の僦馬の党など農民が武装化して生まれた 新説:旧支配層、貴族の末裔が武士となった ■武士の起源とは? 律令制のもとで支配者層であった貴族たちに対して、武士がどのようにして生まれ、貴族…