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熊野大花火大会

(地理)
くまのおおはなびたいかい

三重県熊野市の砂利浜、七里御浜で毎年8月17日に開催される花火大会。毎年この花火を見るため、10万人以上の観客がやってくる。

しかし、海上に浮かべた台船から打ち上げたり、船を使う関係上、天気が良くても台風の接近などで海上の波が高い時は延期になる。延期になった場合、大抵20日以降に行われることが多い。最近では平成18年に台風接近による高波の影響で22日に延期された。

もともとは初精霊供養のために始まった花火である。
現在は観光も意識しているのか規模は大きくなったが、それでも初精霊供養や追善花火がプログラムに組み込まれていて、供養のための花火であることには変わりはない。
供養のための花火はこの熊野大花火だけでなく、日をずらしてそれぞれの地区ごとに打ち上げられている。

開催日には大勢の人が詰めかけ、市内は道路*1も鉄道*2も商店も大混雑する。*3
ほとんどの観客は浜の上か堤防の上などの桟敷席で花火を楽しんでいる。

そんな熊野大花火の見所は海上自爆という、船の上から花火玉を投げ入れ海上で爆破させ、半円状に花開く海上自爆や、それを巨大化して、三尺玉をいかだの上に載せた花火玉を爆破させる三尺玉海上自爆、名勝天然記念物である鬼ヶ城から休む間もなく次々と花火が打ち上がる鬼ヶ城大仕掛けなどがある。

三尺玉海上自爆は、開く花が巨大な分、衝撃波と「ドカーン」というまさに爆発というような轟音を感じることが出来る。(写真はこの花火の花開く途中を撮ったもの)

鬼ヶ城大仕掛けは、岩場に花火玉を置き、そのまま爆破させるのもあり、その爆発による爆風と轟音で、観客は体感震度7を感じることが出来る。

もちろん、衝撃波や体感震度は、見る場所や人によって感じ方は変わるし、あまり遠いところや、丘の上などで見ると感じることが出来ない。これらの衝撃波や轟音がクセになってしまい、一度近い所で見てしまうとそれよりも遠いところじゃ見れないなんていう人もいる。

非常に長い歴史のある花火ではあるが、戦時中は花火が中止されていた。(昭和12年〜20年)
昭和38年から8月17日開催になり、平成6年からは七里御浜の浸食により海岸からの打ち上げが難しくなったため、沖合に浮かべた船からの打ち上げに変更されるなど、時代と共に少しづつスタイルが変わってきている。
また、平成8年には、観客17万人を記録した。

熊野市内は宿が多くあるわけではないので、8月17日は早い段階で予約で一杯になってしまう。また、JR東海の特急(ワイドビュー)南紀も同様に、指定席は早いうちに埋まってしまう。花火当日の臨時の特急・急行も(券は花火当日に発売)すぐに満席になってしまう。
駐車場も早いうちに熊野市に到達しないと満車になってしまい、最悪の場合、渋滞に巻き込まれ熊野市到着時には花火が終わっていたなんて事も。

余談ではあるが、鬼ヶ城大仕掛けの際に、鬼ヶ城に花火の火が燃え移る時があるが、燃えた場合に備え、消防隊員が待機しているそうなので、延焼することも惨事に至ることもなく、すぐに消火される。時々あることらしい。*4

*1:熊野市へのメインルートである国道42号線の松阪・尾鷲方面は鬼ヶ城を抜けるとすぐに急カーブの多い山道になる。片道1車線のため、この日は車が詰まりやすくなる。

*2:熊野市を通る紀勢本線は非電化の単線。列車は増発されるが、それでも都会のラッシュアワー以上にぎゅうぎゅう詰めになる場合もある。

*3:熊野市の人口は約2万人。そんな街にこの日は10万人以上の人が押し寄せてくる

*4:某民放Nがこの火災を「あわや大惨事」と報道したため、ファンの怒りを買ってしまった。

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