1882〜1969。作家、ジャーナリスト。群馬県生れ。
早大英文科卒。「東京朝日」「やまと新聞」「早稲田文学」などに、随筆、翻訳、書評、小説をさかんに発表。個人雑誌「ゆもりすと」「古人今人」を発行、諷刺的文章を多く残した。 特に「古人今人」は、正木ひろしの「近きより」とともに、戦時下における抵抗的な個人雑誌として知られている。
中公文庫から自伝的著作「明治大正見聞史」。
アコスタが工房を訪ねると、職人どもはもう既に今日の仕事を終えており、せっせと金貨を飲んでいた。 比喩ではない。 日給を安酒に変えてとか、そういうワンクッション置いた、取引を交えたものでなく。 率直に、物理的な意味合いで――金貨を砕いて粉にして、一定量をざらざらと、喉の奥へと流し込むのだ。 (Wikipediaより、砂金) 「やあ、精が出ますな」 と、この品のいいイエズス会士が言ったかどうか。 ここはスペイン、マドリード。 ジャコモ・デ・トレゾの作業場。 この日の業務は幾点かのブロンズ像へ、金メッキをすることだった。 その具体的なやり方は、日本に於いて奈良時代、東大寺の毘盧遮那仏をきんきらきんに…
「きのと うし」「ひのえ とら」「ひのと う」「つちのえ たつ」「つちのと み」――。 あるいは漢字で、あるいは仮名で。カレンダーの数字のそばに、小さく書かれた幾文字か。 古き時代の暦の名残り。十干十二支の組み合わせは、実に多くの迷信を生んだ。 (Wikipediaより、カレンダー) 就中、有名なのは丙午(ひのえうま)と庚申(こうしん)だろう。両方とも新たな命の誕生と関係している――主に悪い方向で。 丙午の年に生まれた女は男を喰い殺すサガを持ち、庚申の夜に仕込まれた子は、やがて泥棒に育つというのだ。避けるべき日、不吉な符合というわけである。 現代でこそ一笑に付すべき愚論だが、夜の闇がなお深かっ…
紀元前、文明の都アテネに於いて。 ある彫刻家が裁判所に召喚された。 容疑は、我が子に対する過度の折檻、虐待である。 当日法廷に姿を見せた彫刻家は、妙なものを携えていた。 石像である。 彼自身の新作で、少年が苦悶する有り様を表現したものだった。 その身振りといい、表情といい、何処をとっても真に迫らざるものはなく、今にも魂切る叫びが聴こえるようで、あまりの出来に百戦錬磨の法官たちも息を呑み、皮膚を粟立てずにはいられなかった。 彫刻家、反応をとっくり確かめてから徐に唇を動かして、 「私が息子を虐待したのは、偏にこれを完成させんが為でした」 悪びれもせず、そんな陳述を敢えてした。 開き直りといっていい…
生方敏郎、 竹久夢二、 徳冨蘆花、 小酒井不木――。 文芸史上に光彩陸離たるこの人々も、しかし時折女性に対してひどく辛辣なことを言う。 お前ら女関係で、何かコッピドイ目に遭ったのかと勘繰らずには居られぬほどに。 生田春月はそれが、それのみが男の偉くなる道なりと明朗に歌い上げたものであったが――今回はまあ、さて措いて。 フェミだのポリコレだの何だのと、わけのわからない連中の専横により、悪口どころか性別に関するありとあらゆる表現が窮屈になってきている現今。些か以上に病的な、こういう時勢だからこそ、古人の激語を過去の暗がりから引っ張り出して陳列するのも、きっと大きな意味を持つ。 極端に対して別の極端…