(約2000文字・購読時間5分0秒) 応仁の乱は京都の都市空間を根底から破壊した。洛中の多くの邸宅や商家が炎上し、交通網や生活基盤も大きく損なわれた。その結果、かつては公家屋敷や武家邸宅を核としていた都市構造が大幅に後退し、空地化した土地が広範に出現した。政治的には幕府の統制力が著しく低下し、都市の治安や経済活動の維持は、もはや中央権力に依拠できなくなった。このような状況において、自衛と自治を兼ね備えた新しい共同体が求められることとなる。 戦乱後の混乱を背景に、京都では「町組」と呼ばれる自治的な組織が形成された。町組は、町屋が連なる通りごとに住民が結合してつくられ、寺社や公家、武士の力に頼らず…